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隠された古代 [0930]
『隠された古代 −アラハバキ神の謎− 近江 雅和著 彩流社 1985年10月 2刷 \1,500』 (特価購入\108/2税込み)
「アラハバキ」という言葉を、この本で始めて眼にしたが、この本によれば「荒吐」と書き、“鍛治用の火床を吹くフイゴの風”のことらしい。
この本は、古代縄文時代に、大陸・半島から日本へ鉄器を持ち込んだ人達の移動とその神々、つまり鉄器を作り出す種族の痕跡を、“神社名”などで追っている。
ただ、資料として「東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)」から多く引用している点は、多少問題がありそうだ。
実は、ネットでその「東日流外三郡誌」を見てみると、既に“捏造文書”だということが定説になっているという。
こうした“偽書”は“小説”と同じで、一般に普及し信じられてしまうと、例の“韓国戦地売春婦問題”のように一人歩きして、害毒を撒き散らすので、好ましくないのだが。
ただ、そうした資料の中で、地元に古くから残る“言い伝え”や“故事”を丁寧に洗って集めれば、砂金のように価値有るものが拾えるのかもしれない、とは思う。
この本によると、砂鉄や鉄(タタラ)、それを“鉄器に変える種族=産鉄族”の残した神や神社が、東日本に多くあったが、彼らはやがて中央の大和王権によって征服されてしまい、僅かな痕跡しか残されていないという。(まぁ、“過去”とはそんなものかもしれないが)
跡には“火・日・氷・金などの字を含んだ名の神社”が多く残されたということらしいが、「神社」(特に東日本)の奇妙な名前の由来には、そうした“砂鉄、製鉄”が関連していたという話は、面白い!
また、古代の片目が潰れた神様や土偶・仮面の話、ヒョットコ、メカンチという言葉などは、高温度の火床を眺め続けている鍛治職の職業病(?)と関連しているらしく、これも興味深く感じた。
よくわかる将棋 [0927]
『初めての人に よくわかる将棋 鈴木 宏彦著 東西社 1989年9月 1刷 \780+税』 (特価購入\108/2税込み)
この本の表題には、“初めての人に...”と入っているが、それは置いておくとして、“よくわかる将棋”というのはまったく当たっている!...と思う!
勿論、“駒の動かし方”から“ちょっとした駒の使い方の注意”などから始められているが、それらに加え、実際に“戦い”を始めた時に、「ウッカリやりそうな落とし穴」や「効果的な攻め方」が書かれてある、大変実用的な参考書だ。
今やたら興味が乗っている将棋なので、それの参考書はどれでも参考になる!...と思っているが、その中でも、これは秀逸!
醒めた目でみれば、これも“普通の内容の普通の参考書”なのかもしれない。
だが、“空腹時の食べ物”と同じで、ハングリーであれば、どんなものでも美味しく感じられるわけだ。(...でも、今は“飽食の時代”だから、そんな(あっさり味の)“味気の無い話”は通用しないかな?苦笑)
その“飽食の話”なんだが、最近、「外国人が好む日本食」の一番に“ラーメン”がのし上がって来たという。
へぇ、“脂っこくなくて淡白さ”が日本食の売りのはずなのに、“こってりラーメン”の方が受けるって?...やっぱりなぁ!
センゴク兄弟 [0924]
『センゴク兄弟 東郷 隆著 講談社 2009年10月 1刷 \1,600+税』 (購入\108税込み)
「センゴク」が、“戦国”、“仙石”、“千石”の全部を引っ掛けているのではないか?と思ったが、それに合わせて、最近売り出し中?の“千原兄弟”を思い出してしまった。
...ついでに、「千石電商」や「仙石元官房長官(民主党)」なども思い浮かんだが、あまり関係は無さそう。
弟思いの兄?と兄思いの弟?という設定だが、織田信長が台頭する前の時期の美濃の土豪の息子達の生き様を描いたもの。
彼らの時代は“戦うこと”、“戦って自分達の土地を守ること”が、生活の全てだった。
そうした時代にあっては、戦って死ぬことなど当然のことと考えられていたようだが、時代が変われば、意識も変わる。...今の私達日本人のように、(変なグローバリズムの妄信で)自分達の土地は自分達で守ろうという意識が薄くなれば、“喩え自衛隊員であっても、死ぬような場所へは遣りたくない!”などと嘯(うそぶ)く連中が出てくるわけだ。一体、誰が、どうやって私達を守って貰うんだ?って尋ねたくなるんだが。
ま、それは兎も角として、この本は、話がテンポ良く進むので、読み易かった。
「詰将棋の本」で糞詰まりの頭の中を、さっと掃除するのに適している!...かな?(笑)
みんなの将棋入門 [0921]
『みんなの将棋入門 羽生 善治監修 主婦の友社 平成16年10月 1刷 \950+税』 (購入\108税込み)
“今更、入門書なんて...”とは考えずに、この本を/も買った。
実は、私は将棋は指せるけれど、ちゃんと基本を教わったわけではなく、見よう見まねでやって来ただけ。まだ、知らないことが多い。
この本に書かれている大半は既に知ってはいるが、最後にある「格言集」の大半は知らなかったし、大変参考になる。
私が負ける時は、必ずその中の幾つかの組み合わせで、負け始めるらしいからだ。
例えば、「攻め合いはひるんだら負け」+「両取り逃げるべからず」+「うまそうな手に注意せよ」...確かに、全部これらの反対をやって負けているようだ!orz
...ふむ、実戦では、出来るだけ思い出そう!
しかし、「将棋」って“細かい話だなぁ!”と思う。
これは、やはり“日本人独特の芸の細かさ”ゆえなのかもしれない。
だが、それが、他方で“日本の職人芸”を生み出して来た源でもあるようにも思う。
最近は、そうした“芸の細かさ”が、例えば「商品の品質のよさ」や「システムの安全性維持・管理」などとして、世界の人達から注目されて来ているわけだから、もう一度私達自身もしっかり見直さないといけないと思っている。
アダムの呪い (第九、十章) [0918]
『アダムの呪い ブライアン・サイクス著 大野 晶子訳 ソニー・マガジンズ』 承前(0912)
ここでは、ダーウィンの「進化論」では説明が出来ない「利他行動・自己犠牲」(例えば、アフリカのミーアキャットの群れの中の一頭が、自分の身の危険を顧みず群れの見張り番をするなど))を含む生物の進化を、実は「遺伝子の生き残り作戦」の結果だと始めて解釈したのが、オックスフォード大のウィリアム・ハミルトンだったと紹介されている。
(以前に「利己的遺伝子の話」を読んだことがあるが、大元は此処だったようだ)
それと、“クローンは環境変化に弱い”ということだが、その“環境変化”とは...常識的・巨視的に考えると、気候変化・天変地異などを考えるが、実は「遺伝子」から見ると、“病原体や寄生生物の攻撃”などが、大きな“環境変化”となるわけだ。
“スギ花粉の浮遊”だって、そうした“環境変化”の一種だろう。
...ということは、もしかしたら、アレルギー体質の増加などは、「クローン化人種」が“環境変化”に負け始めた兆候なのかもしれないなぁ。
そいや、変化に対応出来ない生き物といえば...つい、日本の護憲主義者達を思い浮かべてしまった。ありゃ、一種の絶滅危惧種いや、絶滅推進種だろうな。(笑)
世界を見ると、スコットランドがイギリスから独立したいらしいが、自らが環境変化を作り出そうという人種も居るってことか?!(驚)
米原万里の「愛の法則」 [0915]
『米原万里の「愛の法則」 米原 万里著 集英社新書 2007年9月 3刷 \660+税』 (購入\108税込み)
昔、この方の同時通訳の映像を拝見したことがあって、そのスゴ技に感動したことがある。
それ以降、ずっと“疎遠な隠れファン”だったのだが、先日偶々、この著作をBOOK-OFFで見掛けたので買ってみた。
何と!この本の出だし(第一章)は、“社会生物学的な話”で、正に、先日から読んでいる「アダムの呪い」の米原版だ!d(^^;
(クローンは、つまりはコピー品だから、段々中身が欠落し薄くなって、最後は駄目になるという話も書かれている。また、人口が激減した社会では、男児の出生率が激増するとか、男は“多様性のサンプル”だから、女性より身長差や体重差は大きいはずだとか、生延びるためにオスは量をメスは質を追求するとか...私は、その話は知らなかった!)
後は、(同時)通訳者から見た“世の中の言語上の問題点−(国毎・人毎の)観点の違いや行動様式の違い”と、外国語といえば“古くは中国語、新しくは英語一辺倒”の日本人だが、実は、世界には六千語もあって、それぞれが生き々々しているのを知らないのは(文化的に)貧し過ぎる、と書いて居られる。
で、そうした言語も、親戚関係で分類すると十ほどに分けられ、“文章のまとめ方”から分けると三つ[孤立語、膠着語、屈折語]のどれかになるという。
日本語は、ハンガリー語やトルコ語と同じ“膠着語”だそうで、“て・に・を・は”を使って文章の意味を決めるタイプなので、日本人はハンガリー語などは学び易いとか。
他方、ロシア語やフランス語は語尾変化で語と文章の意味を変える“屈折語”、英語や中国語は語順で文章の意味を決める“孤立語”だそうで、日本人は、更に“屈折語”を第三外国語として学べば、“脳みそが安定(鼎立?)する”とか。(何と無く納得。笑)
アダムの呪い (第七章) [0912]
『アダムの呪い ブライアン・サイクス著 大野 晶子訳 ソニー・マガジンズ』 承前(0831)
第七章−ここには、(常識では考えられないような)自然界の性別の話が出ている。
昔から?人間界には、男と女のメロドラマが尽きることなくあり、男性と女性は“お互いに無くてはならぬ存在”ということになっている。
ところが、自然界には、別に“固有の性(別)”なんて無くても、(適当に?)周囲の自然環境や社会環境が変われば、“性”が入れ替わる「種」や、同性(女性)のクローンばかりで社会を形成出来る「種」もあるそうだ。
それに「繁殖率」から見ると、“クローンの量産”の方がずっと効率が高いという。
...ではなぜ、地球上にはそうした「種」ばかりが繁栄しなかったのか?
それは、“異種交配”はたとえ繁殖効率は悪くても、“環境変化などへの適応力”があるからだとか。
“クローン種”だと、変化に弱く、自然環境が少し(大きく?)変化しただけで、いきなり絶滅してしまう危険性があるらしい。
つまり、ワンパターン種は、“変化に弱い”から、生き残れなかったわけだ。
日本の昔話で、寒村に泊まった旅人の夜伽に、娘を供して、生まれた“父なし/不明子”は、喜んで周りで育てるという話を読んだことがあるが、今思えば、“異種交配”という“本能的な生物学的・社会学的な営み”の一端だったということが、良く分かる。
また、別の話で、“嫁は、必ず別の村から貰え!”という風習も、その例だろう。
「詰将棋」の本 [0909]
『「詰将棋」各種 高橋、佐藤、内藤、羽生著 成美堂出版 2001年1月〜2010年7月 ?刷 \680〜\960+税』 (購入\205〜\560税込み)
「BOOK-OFF」だけでなく、ネット上でも安価な物を見付けて買っていたら、溜まって来た!...というか、自発的に溜め込んで来たのだが。
「詰将棋−内藤版」はやっと終わったので、次は「佐藤版」の予定。
最近は、うんうん唸って“解く”よりも、ちょっと考えてから“解答を見て覚える”方式に切り替えている。
つまり、“「詰め」を解く楽しみ”より、“(手を沢山覚えて、)「負けない勝負」を愉しみたい”と思うようになったからだ。それは定跡の方も同じ。(下記参照)
考えてみると、これは義務教育時期の「学習」と同じではないかと思い当たった。
“公文式”が「初期記憶・情報蓄積」に有効なのや、“ヨコミネ式”が「基礎意欲・体力」を養うのと相通じる処がある。 ・・・ “兎に角、これらを覚えておけば、この先もっと面白いことがある|出来るはず!”というわけだ。
相振り飛車の定跡 [0906]
『相振り飛車の定跡 鈴木 大介著 創元社 2005年6月 4刷 \1,200+税』 (購入\491送料・手数料込み)
今は、「詰将棋」の本に浸っている。
これはこれで面白いのだが、“新しい発見”ばかり(!?)で、あまり自分が進歩した感じが無い。orz ...しかも、「将棋ソフト」との実戦では、相変わらず負けてばかり。
実戦中の自分を観察すると、相手が弱いと“攻める一方”だし、相手が強いと“受ける一方”だし、その受け方も常に“矢倉戦法”で、それを崩されて負けてしまうのだと気が付いた。
結局、色々な“攻めや守りの知識”が不足しているんだ!と分かって、知識を増やすために新たに数冊買い込んだが、これはその内の一冊。
少し読んでみて、これも“なるほど!”と感心すること仕切り。
自陣を巧みに守りながら相手を攻める方法には色々あるようだが、それらを知っていないと“打つ手”が無意味だったり、挙句に敗因になるわけだ。
見方を変えると、「今“打つ手”が数手先、数十手先にどのように効いて来るか」を考えておかないと|知っていないと、望ましい(良い)結果は得られないってことのようだ!
私自身、粗忽でウッカリ屋で、“先を考えずにやってしまう”という傾向があるのだが、これを補うには、やはり“沢山の知識(実戦・実践パターン)”を持っていることではないか?それで、“直感”を養えば、“救い”にはなるだろうと思う。
アダムの呪い (第五章) [0903]
『アダムの呪い ブライアン・サイクス著 大野 晶子訳 ソニー・マガジンズ 2004年7月 2刷 \2,000+税』 (購入\200税込み) 承前(0831)
第五章−「性と染色体」の話だが、二つばかりエピソードがあった。
一つは、「染色体の数」の話で、1912年にオーストリア人細胞学者(ハンス・フォン・ヴィニウォーター氏)が、男性のは47本、女性の48本だと結論付けてから、以降40年近くも、皆がそう思い込んでいたのか、あるいは言い出せなかったのか、その誤りが訂正されることは無かったそうだ。
後に、スエーデン人の植物細胞学者(アルバート・レヴァン氏)が“48本の呪縛”に囚われず、正しくは46本だと見て発表し、世界の細胞学者達の目からうろこが剥がれ落ちたとか。
もう一つは、中国人研究者(T・C・スー氏)が、細胞培養技術を使ってヒトの染色体を調べるように指示された時のこと。
運悪く?/運良く!染色体を「よく観察するための溶液=食塩水の組成」が、通常使われていたものよりも、(間違って!)薄く作られていたために、予想外に綺麗に分離していたそうだ。
これも、染色体研究の過去の三十年間から次のステップへと、大きく進歩させる出来事だったとのこと。
このどちらも、ずっと間違いに気が付かずに、“学会の常識”として長い間信じられて来ていたという話だ。
全てがそうだとは言えないだろうが、“信じられている常識”というものは、常に疑って掛かるべきものだという教訓のようだ。
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