導育甘言集 2014.08 [表紙頁]へ [我楽多苑 別亭 (真面目な愚痴)]へ
アダムの呪い (第二章) [0831]
『アダムの呪い ブライアン・サイクス著 大野 晶子訳 ソニー・マガジンズ 2004年7月 2刷 \2,000+税』 (購入\200税込み)
興味があるが中身が濃い?分量が多いので、少しずつ読んでいるのだが、まずは、“出だし”から。
「第二章−孤独な染色体」を読んでいて、血液から染色体を取り出すまでの細かい手順を...丁寧に読むべきか、素通りしてしまうべきか悩みながら、取り敢えずは速読?/飛ばし読み!した。
その後の、「Y染色体」を見付けるまでの難しい手順は、“...何十年にもわたって、師匠から弟子へと受け継がれてきた職人的な手順だ。”というから、やはり素人は、難しさを感じながらも、さっさと読み飛ばしてもいいって事が分かった。(苦笑)
これで思い出したのは、「STAP現象の検証調査」(中間発表が8/27に行われた)のこと。
どうやら、“論文に書かれていたSTAP細胞は、万能性を示さないようだ”との、一見端切れの悪い発表で素人には分かり難くかったが、他方で“自然科学研究者達の真面目さ”がよく分かる。
私は、小保方細胞がSTAP細胞か否か..いや、STAP細胞が存在するか否か、数ヶ月で結論の出るような話ではないと思っている。
それに、検証方法も、従来方式でよいのかどうかも気になる点だ。
ただ、(趣味と違って)職業的な話だから、兎に角、現行方法で検証実験を続けるか/打ち切るかは、数ヶ月以内に決めるべきだと思う。
歩を「と金」に変える [0828]
『歩を「と金」に変える人材活用術 盤上の組織論 羽生 善治、二宮 清純共著 日本経済新聞出版社 2007年10月 1刷 \1,500+税』 (購入\108/2税込み)
ちょうど半額セールの時に買ったので、びっくりするような低価格♪
中身は、“対談集”だが、まぁまぁって感じ。
羽生氏のお話は面白いが、二宮氏が無理に人材論や組織論の方に話を持って行こうとするのが、少々煩わしい。
他のスポーツに興味がある人なら構わないのだろうけど、将棋の話だけに絞りたい私にとっては、無駄以外の何ものでもない!(羽生氏は、何とか話を合わされていた様だが)
羽生氏のお話で、世界にも将棋に似たゲームがあるらしいが、それらはいずれも“駒の強さ”が(日本の将棋に比して)半端ではないらしい。
...だから、例えば、中国将棋などでは、“攻め”から入り、日本将棋のように地道な“囲い”から入るという“戦法”などは無いそうだ。 ...韓国将棋もダイナミックな強い駒ばかりなので、いきなり激しい戦いになってしまうという。
なるほど!そう言われると、昨今のシナ・中国や韓国の「反日活動」などを見ても、そうした民族性、人間の性向が納得出来る。
(「日韓関係の悪化」は、先方の“攻撃性”ゆえのもので、日本側は“受け”一方。 ...例の「河野談話」は、受け損ね!)
ついでなら、(日本将棋的な)日本人が、中国将棋や韓国将棋を相手に、楽勝する手法は何か?を解明、解説して貰えたら有り難かったのだが。
九級から一級までの詰将棋 (追) [0825]
『九級から一級までの詰将棋(再) 内藤 国雄著 承前(0820)
四級問題(九手詰〜)の手前まで読み進めて来たが、此処で一旦停止!
再度、九級問題(一手詰〜)から覚え直している。
それは、別の実戦を何度かやっている内に、“敗戦の原因”が自分の“うっかりミスの積み重ね”にあると気が付いたからだ。それで、反省して読み(覚え)直している。
その“うっかりミス”なるものの正体が、“良く考えれば起きないはずのミス” ...つまり、よく考えたら避けられたはず ...(って?とんでもない!)
それで済ませる話ではない!と気が付いた!
“難しくて解けない妙手”は、どれも、“分かれば簡単だけど、実はなかなか思い付かない手”なのだ。 ...だから、毎回それらを外して、”ミス打ち”しているわけだ!
...これは個人的大発見だ!(笑)
やはり、「幾らよく考えたって出て来ない手(方法)」は、兎に角、事前に覚えておくしか手(方法)は無い。
苦手でも、“詰め方”や“定跡”などは、沢山記憶しとかなきゃ!と、改めて思った。やはり、“記憶は、身を助ける!”だ♪
インド式計算ドリル [0822]
『インド式計算ドリル 遠藤 昭則著 KKベストセラーズ 2007年7月 2刷 \762+税』 (購入\108税込み)
「インド式計算」という表題を見て、興味津々で買ってみたが、中身はドリル(計算練習題?)だけで、面白味は少なかった。
だが、多桁の加算・減算や乗算などの例があり、「インド式計算」の凄さを垣間見た感じ!
要は、物覚えの良い幼少時に、多桁の計算の特殊例を沢山覚えさせておけば、それを援用して多桁計算が楽に出来るようになるらしいってことだ。
これを見ながら、「詰将棋のコツ」を思い出した!(下記参照)
つまり、「基本パターン」を出来るだけ多く覚えておけば、わざわざ計算するまでもなく答えが解る場合が多いわけだ。
考えるのが苦手な人間は、幼少の頃に、こまめに沢山の事例を覚えなかったためだろう。 ...だから、ちっとも考えが進まない|発展させられないのだ。
やはり、幼児教育として、小さい頃から、丸暗記でいいから、沢山の事例を覚えさせることだと思う。
新しい発見や発明は、そうした沢山の事例(ネタ)同士を、今までに無いやり方で繋ぎ合わせ|組み合わせた時に出来るものだから、元のネタが少ないと、出て来るものは“クズ”ばかり。
創造性などは、“豊富なネタ”に支えられて、生まれ出て来るもの!(無から有は生じない!)
・・・ だから、「子供達の記憶力」は、正しく豊かに育てないといけない!(参考:Gigazine記事)
詰将棋(内藤版) [0819]
『九級から一級までの詰将棋 内藤 国雄著 成美堂出版 2006年1月 ?刷 \960+税』 (購入\560税込み)
これは面白い♪...というか、脳ミソの活性化と軟化(?)に、大変有効だと思った♪
一問々々解いて行く楽しみもあるのだが、それよりも“ドン詰まり≒無意味な固執”で苦しむ事の方が多い。 ...この方法しか無い!...はずなのに、その方法では最後に玉に逃げられてしまい、どうしても詰まないのだ。
(自分では、もっと頭を柔らかくしなければ!と思うのだが、最初の一手に固執してしまうと、なかなかそれから逃れられない。そして、何時までも堂々巡り。言い換えると、“下手な考え休むに似たり”ってこと!)
・・・ 結局、“幾ら考えても出て来ない手(妙手)”は、新しい知識として学ばねばいけないことなのだと悟った!
つまり、自分にはそこそこの知識があるから、「物事の答え」なんてのは、“考えれば”必ず見付けられるはず!...と思い込んでいるのは、“浅学の驕り”だってことらしい。
分からないことは分からないのだから、追加で学ぼう!という気分でないと前へ進まない。
覚えてどんどん前進する方がいいか、唸りながら何時までも停滞している方がいいかは、個人の好みによるだろうが、どちらが世の中の利益になるかは言わずもがな!
“何事も、新しく覚えて|学んで行かないといけないのだ!”ということを、この本で、思い知らされた。
先を読む頭脳 [0816]
『先を読む頭脳 羽生 善治、伊藤 毅志、松原 仁共著 新潮文庫 平成21年4月 ?刷 \400+税』 (購入\108税込み)
三著者の内、羽生氏は専門家としての経験談なので、色々参考になる話があるが、他の著者の将棋に関する知識の不十分さに、興醒めした。
例えば、次のような記述がある。
...羽生さんは、将棋を理解するための非常に洗練された知識を持っていると考えられます。羽生さんの卓越した認識能力を示した、さらに進んだ実験をご紹介します。...
ということで、図2<クリック>が示されているのだが。...
え?これ!素人の私でも、簡単に並べられるのに!(絶句)
...この本から(私が)読み取ろうとした“先を読む頭脳が人工的に造れるのか否か?”については、結局、よく分からなかった。
が、「根本的な問題点」の節で挙げられていた「コンピュータは、“定跡通りの打ち方”の途中で、相手が別の定跡に切り替えると、応手が変になる」という話から推測すると、最後は(人間・男性の持つ個性)“微小不安定性・微小ランダム性の問題”に行き当たるのではないかと思った。そうした面に欠けるコンピュータは、やはり女流(/女性)棋士と同じタイプではないかな?(下記参照)
・・・ 勿論、“コンピュータの個性”も、プログラマが組み込むアルゴリズムが基で、自動的に埋め込まれるだろうから、“人間似コンピュータ”は出来るだろうとは思うが、それが神のように強いか、どうかについては何とも言えない。
将棋定跡入門 [0813]
『将棋定跡入門 九段 内藤 国雄著 日東書院 1998年7月 ?刷 \760+税』
『一局の将棋、一回の人生 河口 俊彦著 新潮文庫 平成6年11月 6刷 \480税込み』
(各購入\108税込み)
このところ、将棋関係の本ばかり買って来て、読んでいる。
その原動力は、やはり“負けて悔しい花一匁”?(笑)...で、次は勝ってやろうというより、なぜ?負けるんだろう?という方が気になる。(なんで?そーなるの!悲鳴)
そこで、生涯初めて、“将棋の定跡”なる本を買った。
『将棋定跡入門』を読んでみると、ふんふん、なるほど!よく分かる!
...だが、実際の対戦となると、形を組む前に欠陥箇所を見付けられてしまうようで、挙句、一気呵成にやられてしまうのだ。
だから、初手から一駒々々、瑕疵を作らないように丁寧に動かさないといけないらしい...というのが分かった!...が?
『一局の将棋、一回の人生』の方は、“棋士達の群像”といった読み物で、所々で出て来る逸話(エピソード)は興味深い。(面白い!)
中にはこんなのもある...「女性棋士の感情」の節で、その初っ端に、こう書いてある。
・・・ “およそプロの勝負で、男女平等、対等の条件で戦うのは、囲碁将棋だけだろう”...そして...
“女性は、徹底して自分の言い分を通そうとする。相手の言い分など耳に貸さず、こういう筋で攻めたいと思えば一路それに邁進するのである。...プロ将棋はそれとは逆である。...自分はこういう手を指したいんだ、よりも、相手はなにを考えているかを読む。そして、狙い筋がわかれば、まず、それに対応することを考えるのである。...”
“土俵”といえば相撲の方ではあるが、その“土俵が違う話”が、実は将棋界にもあるらしい。
“女性棋士”と“女流棋士”とは違うのだそうだが、スポーツ界などで“女子xxx”名の付くのは後者の方らしい。
(...今の世の中、“男女平等、同権”が叫ばれるが、決して“同責任”を責められない処がヘン!)
人生、惚れてこそ [0810]
『人生、惚れてこそ 知的競争力の秘密 米長 邦夫、羽生 善治共著 クレスト社 平成8年5月 5刷 \1,600税込み』 (購入\108税込み)
先日、突然、将棋ソフト(弱い旧ソフトと強い新ソフト)に嵌って、改めて『将棋』に覚醒してしまった。
元々、こうした勝負事はとても弱いのだが、負けると猛烈に腹が立つので、
何とか、この「K-Shogi初級」にでも勝てないものかと執念深く思い始めた。
NET上にも参考情報は沢山あるようだが、本として読みたいと思いBOOK-OFFで、“定跡”や“詰将棋”の本を探したが、見付からず。...その代わりに、こんな本を買って来た。
この本は、“ま、天才達のやることだから、私達凡才に真似が出来るわけは無い!”と思いながら読んだのだが、そうでもない!
物事の仕分け方などは、大変参考になる!
例えば、『十秒将棋』というのがあるそうで、若い人達には有利だが、歳を取るにつれて“必要な思考時間”が長くなるから、こうした短時間勝負ほど負け易いのだとか。...ということは、K-Shogiが、強い弱いの差を「思考打ち切り時間」で設定しているのも頷けるわけだ。
だけど、人間対コンピュータの対戦になると、“ソフトのアルゴリズム”の問題は残るだろうけれども、やがては思考時間(≒検索&評価時間)の短いコンピュータの方が有利になるだろうな。
北門の狼 [0807]
『北門の狼 重蔵始末(六)蝦夷編 逢坂 剛著 講談社 2009年8月 1刷 \1,900+税』 (購入\108税込み)
“蝦夷地”と“近藤重蔵”という(単)語に惹かれて買ったのだが、小説として、結構面白かった!また、史実として、私も知らなかった話があって、興味深く拝見した。
徳川第三代−江戸時代初期の北海道・北方領土の探検行だが、土着のアイヌ達の助けを借りての大変な難事業だったらしい。
“最上徳内”が、本編の探検行に参加した話は、昔読んだ本の中に“近藤重蔵と最上徳内の組合わせ”として有ったような微かな記憶しか無い。
また、この本に出てくる(水戸藩の)“木村謙次”という名前は、初めてだった。
そのアイヌの話だが、当時のアイヌ達は、(そうした生活を望んでいたのだろうが)生活・技術レベルは、本土よりも遥かに低かったようだ。ために、松前藩から搾取を受け続けていたという。
何時の時代にも、“弱者”は“強者の圧制”に苦しめられるというのが、「自然の掟・摂理」なのだろう。
“集団的自衛権”反対を叫んでいる今の相当数の日本人達は、そうした“お上”に対する“弱者”を装いたいと思っているようだが、一体、誰が(お上が?)“強者”だと想定しているのだろうか?
...今、なりふり構わず富国強兵の道を歩んでいるシナ・中国は、近隣の、そして世界の“強者”を目指すことは間違いない。
他方、今まで“世界の強者”だった米国の落日は近い?!
...そうした“世界の中”で、私達日本人は、何時までも“弱者”を装っていては、生きて行けないと思うのだが。
人口減少の経済学 [0804]
『人口減少の経済学 原田 泰著 PHP研究所 2001年12月 1刷 \1,500+税』 (購入\108税込み)
折角の夢物語ではあるが、どうも実現性に乏しそうなので、殆ど最初と最後だけ読んだだけ。(中抜き方式)
私が欲しかった提案や情報は、これまでの人口減少は何が原因で、生じて来たのか?もし、そのままで人口減少が続くと、何が拙いのか?...で、原因を取り除けば、それが拙くなくなるのか?果たして、その原因が取り除けるものなのか?...などなど、一杯の疑問についての解答かそれへのヒント。
でも、変な例を挙げて、誤魔化してあるのは頂けない。
例えば、女性が“子供を産まなくなったのは、子供が死ななくなったからだ”とか...へ?魚や鳥など動物の話を持って来て、“近代社会の少子化”を説明するつもり?
...挙句に、“人口減少社会を克服するために、コスト高の手段を講じてはならない。保育所の運営コストは引き下げるべきであり、児童手当は穏当なものに改めるべきだ。”だそうだが、その問題の「コスト高の話」をなぜ保育所だけに限っているのか?
現在、誰も指摘しない(指摘出来ない?)世の中の“高コスト労働”−例えば、非正規雇用を無理やり正規雇用にすることや外国人労働者に正規賃金を与えることなど−を、やたら強要し制度化しようとする動きが、更に強くなれば、とても“保育所のコスト低減”どころの騒ぎではないのに!
どうも、“人権至上主義”が、“効率の良い民主主義や資本主義”を駄目にしつつあるように見えるから、結局行き着く先は、非能率、非効率、不経済な少人口国になるはずだ。
(これまでは、何事も為るようにしか為らないという庶民諦観(?)が、「改善」とか「改良」とかいったことを拒否して来たから、これからも、そうしたことは行われないだろうし、最後はもうなんでもいいや!となるはず。そんなところで経済学などが通用する筈も無し)
母性崩壊 [0801]
『母性崩壊 林 道義著 PHP研究所 1999年12月 1刷 \1,300+税』 (購入\108税込み)
この著者は、女性には、元々“母性本能”という本能がある!という立場を採れ!と仰りたいようだ。子供に対する母親の様々な対処の形が理解出来るという話らしい。
残酷な母親は、元々あるはずの母性が崩壊したからだというわけで、そこに社会が救済に割り込む際に、どのような手法や制度が必要かなどなど。
...ちょっと話が細か過ぎて、全部は読み切れず。ただ、筋は通っていて正論であるらしいことは分かった。
この本の中で、田中喜美子氏とのバトルの話があった。
ちょっと興味が湧いたので、ネットで検索してみたら、両陣営、非難合戦の模様。(苦笑)
お互いにウソツキだとか、バカだとか?...こうなると、こちらまで、妙な野次馬気分になる。
だが、現実は、女性(達)が“自分(達)の権利や尊厳など”を云い出すと、かなり利己的・我利々々的になるので、第三者的に見る時は、注意が必要だろうと思っている。
私の目安は、「最終的に日本の国家財政状態の改善に寄与するかどうか」で考えて、その解決策が「良い」か「必要悪」か「不良」かを判断すればよいと思っている。
その意味からいえば、「(親から虐待・被害を受ける)子供は、社会が保護しないといけないという話」でも、公共費用でやるのは無駄で駄目!...でも、私財を使うのは、大いに結構!...それは、子供の保護なんて(収益の出ない)一種の慈善事業だからだ。
“母性”の有る無し論争の前に、先ず、そうした母性は、子供にとって大変効率の良い“成育材・栄養剤”のひとつなのだと認識すべきだな。
だから、それ(“母性”)を上手く育てて利用する努力をすべきなのに、昨今では本人も家族も周りの社会も怠惰に浸っていて、あまりやる気も無いらしい。挙句、そんなものは無くても済むんだって、効果・効率無視の暴論まで出てくる始末。
結局、社会全体では“保育の効率や経済性”が酷く悪い状態になっているって事だ。
そのロスが、すべて国の財政赤字に振り替えられ、“借金の増大”(参考:財務省資料)は留まる所を知らず。だが、女権尊重主義者達(フェミニスト??)は、そんなこと知った事か!と消費・浪費へまっしぐら。(愚かな!)...だが、それが情け無い現実のようだ。
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