導育甘言集 2013.05    我楽多苑 別亭 (真面目な愚痴)]へ      表紙頁]へ

江戸になる! [0531]
『あと3年で、世界は江戸になる! 日下 公人著 ビジネス社 2007年11月 1刷 \1,400+税』 (購入\105税込み)
確か、以前にこの著者が、日本は鎖国してもやって行けるだけの資力や体力がある!と書かれていたような気がします。それが、これでは“世界は、” と書かれていますが、やはり、新「日本鎖国論」が入っていました!
あれこれ考えると、日本は無理に外国へ出なくても、十分にやって行けるような気がします。
資源も文化も産業も芸術も日本国内品だけで賄えるものを持っていますからね。
問題は、私達日本人の“やる気の有り無し”だけのような。

そういえば、先日の報道では、日本の海外残留資産(?)が200兆円を超える額だそうで、何だか少ないような感じですが、それでも海外で、それだけの仕事をされた|したのに、日本にはお金として入って来ていないわけです。(まぁ、それらを全部、日本に持ち込むことは出来ないでしょうけど)
産業界は、「生産拠点の海外進出だぁ!」とか騒いで来たけど、結局は、殆ど海外に技術とお金を渡して|残しておくだけになっている!

厚生労働省が調べている「1世帯あたりの平均所得金額の年次推移」を見ると、平成10年辺りまでは緩やかに延びていたけど、後は全然増えてませんねぇ!つまり、一般日本人の多くは、『はたらけど はたらけど猶 わが生活楽にならざり...ぢっと出納帳をみる』状態ですよね。
誰のための海外進出なのか?今時のTPP参加も何ゆえに?
ま、そんなこんなで、私も、この本に刺激されて、日本はまた鎖国してもいいんぢゃ|じゃないだろうか?!と思うようになりました。

彼らの流儀 [0529]
『彼らの流儀 沢木 耕太郎著 朝日新聞社 平成5年1月 6刷 \1,100税込み』 (購入\105税込み)
これまで、主に“一人の主人公中心”か、“一人の著者の考え方”を読んで来たし、登場人物が沢山出て来る話は、真実味が弱く薄く感じられるので、極力敬遠しているのですが、今回は、もう少し視野を拡げられるかな?と思って読んでみました。
(これは、後で気が付いたのですが、取材に基づいた話が殆どなので、真実味については大丈夫でしょう)
この中で、ナルホド!そんなものだろうなぁ、と思ったひとつの小話。
それは、N.Y.(米国ニューヨーク)には、(警察がバックアップする?)人種毎のコミュニティ(例えば、イタリアンやチャイニーズ、プエルトリカン、アイリッシュなど)があるが、日本人の殆どが短期滞在者達だから、そんなのは無いらしいこと。(クラスも違うからなのかな?)
腕に自信がある主人公ハッシー(橋本氏)がポリスアカデミーを卒業後、分署に配属され、やがて覆面捜査官(アンダーカバー)として飛ばされるが、その直前までに試みたことで、その一つは、警察本部内で「日本係」を無理に作らせて貰ったこと。 ・・・ しかし、最後まで、相談に来る日本人が居なくて、席を便所の傍にまで追い遣られてしまう物悲しい話。
結局、日本人達は住んではいるけど、「日本係」を必要とするような群れ−ジャパニーズ・コミュニティなんて存在していなかった。

それで思うのは、先頃も『商売慰安婦問題−歴史問題?』で、コリアン達が米国議会などに働き掛けている話が報道されていましたが、あの“日本(軍?国?人?)バッシング”なども同根の話で、異国でコミュニティを作る者達の強さ(?!)なのでしょうね。
他方、私達日本人は、そうした『外敵』に対して、自分達同国人を守ろうともせず、世界市民風に身内をも平然と叩いて見せるか、世界市民風に黙然と傍観を決め込むのが常ですね。
日本人の一部の連中やマスコミが良く使う愚手は、“ほら!外国人も非難してるだろ!だから、それ、悪いことなんだ!”
・・・ でも、私に言わせると、“これは、内輪の喧嘩だ!あんた達、他国人が余所から余計な口を出すな!”って外向きに言って欲しいですな。
(私の流儀で言えば、世界市民の“大人”って、そうした“分別のある振る舞いが出来る”って事だと思うんですがね)

時代の深層底流 [0527]
『時代の深層底流を読む 寺島 実郎著 東洋経済新報社 2002年1月 1刷 \1,500+税』 (購入\105税込み)
今時の日本では、よく『人権』とか『人道』といった言葉を使っていますが、貴方達本当にその意味が分かっているのですか?真剣に、自分の頭で考えていますか?自分の心で感じてますか?と問い掛けられているような内容です。
2009年米国のN.Y.で起きた9.11事件を皮切りに、その後に為された世界的な『非人道的』事件については、私達日本人は丸で知らぬ顔だけど、本当にそれでいいのですか?と。
私としては、苦虫を噛み潰しながら、“だって、仕方ないもん...”と言う以外に、反応のしようがないですね。(つまり、“居直り”ですが)
今の日本で、どのような「正論」を筋道立てて言おうが、単に「世間を騒がせる」だけで、目の仇にされるケースも多々ありますからね。
で、無難に話すと、意味が無いし、全然理解もされないし、単に黙殺されるだけ。
この著者が憂えて居られる『試される日本人の「脳力」』なども、世間一般は、“あー、そんなもんでしょうかな。”で、終わってしまいそうなのが残念です。(泣) ・・・ 私自身は、何を何処から為すべきか?と、色々考えてみてはいるのですが、どれも成功覚束なくて。(泣)

希望論 [0525]
『希望論 堀江 貴文著 サンガ 2009年11月 1刷 \1,200+税』 (購入\105税込み)
この本で述べられていることは、(男性的な意味で)殆ど“正論”だと思います。
ただ、極端過ぎる部分もあるから、「常識的」だとは、決して云って貰えないかも。
山本七平氏の仰るように、『「常識」の非常識』の中では、堀江氏のは非「非常識」的でしょう。 笑)

それと、部分的に、私の見方とは違う箇所もあります。
例えば、“自分の子供のために命を捨てられるか!”と見栄を切って居られますが、それはある時点での現場の情況次第ではないですかねぇ。
とっさの場合、思わず子供や相手を救おうとして、本能的・反射的に動く事だってあるでしょうから、その瞬間になってみないと、自分でもどんな行動を採るかは分からないのでは?
つまり、氏は時々刻々で、適切な行動や応答が出来る自信があるから、別に予断(既存の常識)を持って構えていなくてもいいはず。(仰っているほど、冷血鬼でもないと思いますよ)

それと、官僚など潰してしまえ!総務省、経済産業省などは要らない!と仰っているけど、あれなど、私達一般国民・大衆が(無意識的に)欲しがっているものであって、皆が(無意識的に)必要だと思っているものは、簡単に無くせはしない。(一種の「見えない常識」)
それに政治家だって、今は“大衆迎合的”だから、大衆(の隠された願望)に抵抗するなんて出来っこない。
もし、力のある人間・人物が、常識(≒大衆の考え)に耳を貸さず必死にやっても、今の日本では、成功するかどうかは危ういと思いますね。
だから、やるとしたら小さい頃からの教育で、徐々に常識を広げさせる訓練をして行かないと、とてもじゃないがひねた大人ではねぇ!

楊令伝 (五−九) [0523]
『楊令伝 (五−九) 北方 謙三著 集英社 2008年4月−2009年7月 各1刷、但し(六)は4刷 各\1,600+税』 (購入\105,\105,\200,\105,\251税込み)
一気に、これら5巻を読んでしまいました。(ハァー!)
読み易く、筋書きや話の細部に矛盾は感じず、後の展開への期待感もあって、しかも飽きの来ない、こんな長編小説は久し振りで、買って読んで大満足!(まだ後、続きが5〜6巻あるので、楽しみです。z(^^;)
読みながら思ったことは、登場人物達が、こんな改革、革命に命を投げ出してどーするんだろ?と思いながらも、では、現代社会に生きる私達は、一体どんな“(命掛けの)志”を持っているかな?...今の方が、のんびり楽をして生きて行けるだけ好ましいのかな?と。
でも、生きているという燃焼感充実感のレベルは、随分違うだろうと思いますね。
私などは、人生の大半を淡々と歩いて来て、今頃になって“燃え残りカス”に火が点いた感じで、“学び・喜び・怒り・書き散らし”ていますが、それ程不満足感は無いです。 (ま、燃焼感の方は、程々ですが)

「食育」批判序説 [0521]
『「食育」批判序説 森本 芳生著 明石書店 2009年8月 1刷 \2,800+税』 (購入\200税込み)
孫娘を月一回半日預かって、毎回思う|迷うのは、昼ごはんをちゃんと食べずにいて、後でおやつを欲しがるけれど、それがいけないのか?どうかってこと。
“現代人の習慣”からすれば、きちんと三食採るのが好ましいことになっているようですが、果たして、誰もが、そんな“習慣”に従う必要があるのかな?と疑問になりました。
(実は!?私自身、その習慣の信奉者ではありますが。笑)

この著者は、“子供達に、朝ご飯をちゃんと食べさせるのは良いこと|必要なことだ!”という説は、生物科学的に根拠の無い話が間違って利用され、それが常識化しているだけだ、と指摘されています。
この本では、『早い話、脳が必要とするエネルギー源は、糖質だけではないよ!脂肪酸から作られるケトン体というものが利用出来るのですよ!その事実を学者達は皆知っているはずだし、別の話ではちゃんと引用もしているのに、肝心の「朝ごはんの話」では、綺麗さっぱり省いたり誤魔化したりして、“糖質だけに限定”してしまっている!』と書かれています。

ま、そうした一般化した“常識”や、そこで示されている“定型パターン”を利用するのは“楽チン”でいいけど、実際は、子供のためにはなっていない事も多い!ってことのようです。
この本の中で引用されている話、『教育方法を愛するのではなくて、子どもを愛するべきだ』は、そうしたことの裏返しではないかと。
確かに、「食育」の手前|向こうにあるべき本来の目的は、“子供達個々人を、健康で賢く優しい人間に育てること”のはずですよね。
“食事の取り方”をあれこれ規定したがるのは、親や大人の側の都合だけような気もしますが。

現実にどうやるかについては、保育者が常に子供の状態や実環境に合わせて「試行錯誤」を繰り返すべきで、決して単純な定型パターンを真似するだけでは、個人差を補えないだろうと思います。
とは言え、実際に“試行錯誤”をやってみると、実に疲れます!がね...けど、やはり、それは保育者の務めでしょうね。

幼児期には2度チャンス [0519]
『幼児期には2度チャンスがある 相良 敦子著 講談社 1999年12月 1刷 \1,600+税』 (購入\105税込み)
この著者は、フランスのマリア・モンテッソーリ氏の教育手法をベースにした「モンテッソーリ教育」を日本でも普及させようとされている|いた方のようで、幼稚園園長をされるなど、幼児教育にも携わって居られたとか。
この中で指摘されていることで、確かに意味がある!と思ったのは、子育ての第1段階=零から三歳までで、大抵の母親は、気が付いたら失敗したのではないかと不安になるようだが、子育ての第2段階=三歳から六歳にも“第2のチャンスがあるから、心配しないで!次の段階で取り組めばいいですよ!”という点。
勿論、これは現実(従来型のお粗末な乳児保育)を考えた“次善の策”でしょうけど。

本来なら、第1のチャンスを逃しては、保育・教育効果上は大損のはずなのですが、やはり現実には勝てませんからねぇ。(苦笑)
でもまぁ、母親に少し余裕が出て来る時期に、改めて自分の採っている養育手法を見直して修正するのも、意味があるでしょう。
その他、次の2点のご指摘も有意義ですね。( ・・・ 私案も付記します)
 +子供は「仕事」が大好き  (・・・ おっ!出来たね!...ん?難しいかい?手伝って上げようか?
 +「心の基盤を幼児期に作り上げる」 (・・・ 父さんや母さんだった、どうすると思う?...頑張れるだけ、頑張ってごらん!
子供の保育・教育で一番大事なのは、“結果”は要求しないで、“過程”だけを応援・支援してやることだろうと思います。
“未完成”や“失敗”は当然のことだと、常に腹を括っておくべし!(父親はそれが出来るのですが、母親はそれが難しい...けど、やって欲しいことです!)

楊令伝 [0517]
『楊令伝[1,2,3,4] 北方 謙三著 集英社 2007年4月−2008年4月年 1刷 \1,600+税』 (購入\105、\200、\251、¥251税込み)
(単行本で揃えたかったのですが、通販だった[4]は間違えて文庫本にしてしまいました。並べて置く時には不揃いなので具合が良くない!まぁ、最後はBOOK-OFFへ戻す予定ですが)
これは、『楊家将』の楊家の子孫らしい英傑『楊令』を中心とした革命集団と戦乱の話。
内容的には、『水滸伝』に良く似ていますが、やはりこの本のように一人の主人物を中心に話が進む方が、読み易いし面白!...読み始めると、なかなか止められませぬ!(苦笑)

尤も、これも単に一人だけではなく、(革命思考を持つ?)宗教指導者方臘(ほうろう)や宋の元帥童貫(どうかん)など、結構幾人かにスポットライトが振り分けられるので、その度に頭を切り替えねばならず、少々鬱陶しい。(“水滸伝”はそれが甚だしかった)
でもまぁ、多くの人々が読む(果てしない)物語だから仕方が無いのかも。
いずれにしても、これは何とか出来るものなら全巻最後まで読み切りたいですね!(流石に、百五円本だけでは揃え難そう)

秦の始皇帝 [0515]
『秦の始皇帝 陳 舜臣著 尚文社ジャパン 1995年6月 1刷 \1,600税込み』 (特価購入\48税込み)
シナ|中国という多民族国家が、一瞬でも“統一国家”となったのは、この「秦帝国」が最初(で最後)かもしれませんね。(この本には、そんなキワドイことは書いてありませんが)
というのは、人間という生き物は、何かしら『』だとか『天子』だとかいった存在を奉っていないと、落ち着かない性分らしいですから、「秦帝国」で『天子』なるものが出現して、初めて国が成り立ったと考えていいわけです。
勿論、私達日本人は、『天皇』を“象徴的存在”として奉っているから、誇れるのですが。
では、今の(宗教は麻薬だ!的)共産主義国であるシナ|中国は、どうなのでしょう? ...はて?『天子』の居ない国って、どこまで長続きするのかな?
この本を拝読しながら、そうした雑念が浮かんでは消えて行きましたが、本の中で、別の大事なご指摘に気が付きました。

それは“乳幼児教育”に関わることですが、『孔子の言葉に「性は相近し」−性格というのは人は誰でも同じだ、「習いで遠くなる」−教えや環境によって人間の違いが大きくなるというのがあります。』という話が、取り上げられていました。
その見方から後に、孟子の性善説と荀子の性悪説が派生するらしいのですが。
・・・ 私は“苑子の性変説”というのを提案したいですね。(笑)
最近の科学的・医学的な研究からも、0歳から3歳くらいの間が、人格が形成されて行く上で、特に重要な期間だと分かって来ています。
そこでの、保育の仕方次第で、“性善”、“性悪”のどちらにでもなり得るからです。

でも、私達の多くは、知識として、そうしたことを知っては居るのですが、保育者として、なかなか、それを真剣に“実行動”に結び付けようとはしていませんね。良い教本があるわけではないし、現場々々で、創意工夫が必要だから、つい億劫&面倒になってしまうからでしょうけど。
例えば、多くの保育者は、“子供の好きなようにさせてます!”って、さも子供が“完成物”であるかのように放置していながら、一方で、“それは危ないから、駄目!これも汚れるから、駄目!”って云い続けていますよね。(・・・ 実は、それが、駄目なんですけどねぇ。苦笑)
(そんなので素直に育ったら、“何も出来ない人格”になるのは必定です)

テコの原理 [0513]
先日申し込んだ(が、なかなか会員確認が進まなくて、やきもき中なのですが)、ファンド「鵜の助」の情報などを、つらつら眺めています。(左写真<クリック> レポート
(実は、魚類はそれほど好きではないけれど、こんな海産物は大好き!なので「鵜の助」を選んだ。d(^^;)

・・・ と、サイト内の「ガイド」で、ナルホド!と目から鱗が落ちる思いの興味深い頁「資本性借入金について」を発見!(左写真 ガイド頁

再建を望むグループや企業が、銀行からお金を借りたくても、ベースになる“一定の資本”が無いと貸して貰えない(つまり、十分な担保が必要って事)...っていうのが、今の法律。
ところが、個人(達)からの小口投資や寄付金が一定額あれば、それを銀行に示せば、“みなし資本”として評価されて、銀行からも資金を借りる事が出来るようになるらしい。
つまり、レバレッジ|テコの原理なのですね。

設備も何もかも流されてしまった被災地の建屋や作業場を、“やる気”を出して再建したいと思っても、担保が無くて借金も出来ないとなると、普通なら、“どうしようも無いなぁ...”と泣く々々引き下がる|廃業ってわけでしょうけど。
でも、それが、マイクロ・ファンド利用で、銀行からの“貸し出し”が引き出せて、再建の足掛かりが出来るなら、これは面白い話です。
経済や金融の話なんて、あまり好きでは無いけど、こうして結び付いて来ると、俄然興味が湧いて来ます。(^^;?

悪徳商人? [0512]
悪徳商人 「唐津屋友左衛門」 唐津屋 友喜著 文芸社 2007年10月 1刷 \1,600+税』 (特価購入\48税込み)
残念ながら、この本からは、期待したような“悪徳商人像”が読み取れませんでした。
失礼ながら、説得力が、かなり不足していて、人物や事件の描かれ方も、全般にのっぺり。
例えば、階級社会の江戸時代の話だから身分の上下なども厳しいはずなのに、現代の平民同士の会話調で、あまり緊張なども感じられず、リアリティ|迫真性に乏しい。
もしかして、登場人物は皆、“なぁなぁの平成人”ばかりではないかと。(苦笑)
“悪徳商人”と云うからには、“振幅が大きく人並み外れた手法を駆使する人物像”を期待したのですが、話が飛び過ぎで胡散臭く、作られた“おとぎ話”っぽくて鼻白んだ、というところ。
結局、“読み易く平板に書いてやったから、後は勝手に読者が抑揚を付けろ!”って感じで、読者にとても冷たい。(... これを読んで、私の文章もそうだろうかと、肝が冷える思いがしました)
一方、これに比べ、宮城谷 昌光氏(『奇貨居くべし』など)や北方 謙三氏(『楊家将』など)の筆力は、やはり凄い!と改めて感心しました。

日本を継ぐ異邦人 [0511]
『日本を継ぐ異邦人 井上 和博著 中央公論社 1998年10月 1刷 \2,300+税』 (特価購入\84税込み)
この本を拝見していて、ちょっと複雑な気持ちになりました。
確かに、“異邦人”の方達が、「日本の伝統工芸や技法」に魅力を感じて、懸命に維持しようとして下さるのは結構な|有り難い気もします。
でも、他方で、“異邦人”だから有り難いのか?単に“少数の篤志家|生産者”だから有り難いのか?...読んでいて、良く分からなくなりました。
そうしたマイナーな(?)ものに情熱を注げるのは、やはり「限られた人達」だけではないか?だったら、“日本人”の中にも、そうした人達は居るはずだけど、“異邦人”ほど注目されないだけなのでは?と思ったり。
(そりゃぁ、私達日本人は、外人がやっているとなると、つい注目したくなっちゃいますからね。だから、私もこの本を買ったんですが。苦笑)
で、そうした(工芸品を)利用|使用する側は、有れば有ったで使うだろうけど、無くなれば無くなったで嘆息して終わり(継承にために自らパトロンとして作家を援助するわけでもなく、単に公的な補助金を当てにするだけ?)だから、そんなものの何処に“正義や価値”があるのかな?と考えた。
・・・ よく考えたら、そうした人達の持つ“形の有るものとして残そうという情熱”の方に価値があるのではないかと。

仏教の思想では、“形のあるものは形が無く、目に見えるものは実は存在していないし、見えないからといって無意味でもない・・・”と、悟ってしまっていますが、現実の人間や生物は皆、それに抵抗して生きているのだから、“形の有るもの”を追い掛けるのは必然でしょう。
固い岩も長い年月の間には、風化して、やがては砂になってしまうのが、世の慣わしだけど、短い生命期間に、“崩れ行くものなら、少しでも固め直したい!”と願うのは、“生物の正義”だと思いますね。(“長生きしたい”や“子孫を残したい”というのも、そのひとつの現れでしょう)

マイクロ投資 [0509]
先日、ある報道で、このサイト(ミュージック・セキュリティーズ 左写真は表紙の一部)を知って、早速“会員登録”をして、ささやかな“投資&寄付”をしました。
以前にも、『立ち上がれ!ど真ん中・おおつち』へ僅かばかりの支援をしましたが、今回投資した『鵜の助4人の漁師ファンド』(投資案内サイト)も、半分は“応援”と、残り半分は“ミクロ|マイクロな投資”が目的です。(左写真<クリック>)
僅か二万円ちょっと(+振込み手数料)の金額で、投資した気分になるから不思議!(笑)
それに、“やる気のある、働く人達”を応援するのって、愉しいですからね。
(言っちゃ悪いけど、既に引退した野球人に“国民栄誉賞”などをやるのが、何が嬉しいもんか!単なる無駄!)
“被災地の復興”というのは、やはりその地域の人達の努力・尽力が一番重要ですが、“消費(マイナス側)”を支援するのではなくて、“生産(プラス側)”を応援する方が、復興にはずっと有効だと思っています。
(それに政府や役人に任せておくと、私達の血税(目的税)を、平気で目的外に流用するようだし)
私は、今時の“日本のデフレ状態”の元凶は、皆の“やる気の低下、欠如”だと見ているのですが、それの“喚起”がポイントでしょうねぇ。
(先般から、保育所経営への株式会社の参入を緩和する話が進んでいるそうですが、“やる気保育園”(!)の「経営マイクロ・ファンド」なんてのを期待してます)

日本船舶振興会の実像 [0507]
誰も書かなかった 日本船舶振興会の実像 鶴蒔 靖夫著 IN通信社 昭和62年11月 2刷 \1,500』 (購入\105税込み)
この本は、今は「日本財団」と改名している「(旧)日本船舶振興会」の経緯と実態を描いたもので、本質を丁寧に取材されていたように感じました。
盛り沢山で、ややもすると平板になる所もありますが、「実状を知るための資料」としての意義・価値は大きいと思います。
しかし、“興味の無い人達”を説得・誘引するような記事になっていないのが、惜しいですね!これは“知る人達”の再学習用かもしれない。尚、今なら、Wikipediaの記事なども、補足資料になる。

この本の中で(歯切れ悪く?)紹介されていますが、「日本船舶振興会(現在の日本財団)」は、役員は“手弁当”に近いし、収益金の殆どが慈善事業に使われるし、経営内容は全て“ガラス張り”だったのに対して、(役人には美味しい“天下り団体”の)「日本中央競馬会」や「日本自転車振興会」の方は、経費はドンブリで使い放題だし、役員報酬も高いし、退職金も莫大だったそうで、まったく月とスッポン|鶴と泥亀の差のような話。

慈善事業に関しても、「日本財団(旧日本船舶振興会)」のアクション|リアクションは、とても早い|速いそうです。
財団HPの活動指針の中に、こんなのがありますね。『Do it now 私たちは、失敗を恐れることなく、あらゆる問題に対して速やかに決断し、行動します。』 ・・・ “失敗も考慮した上での実行を明言”している点で、ホントに“やる気”のあることが、よく分かります)
以前、東北地方大震災の折の「日本赤十字」等の“もたつき/鈍重さ”が、話題になりましたが、お金を集めるだけ集めても、失敗を攻撃されるのが嫌で|怖れて、行動・実行がとても鈍かった。 ・・・ やはり、民と官の違いでしょう。

アメリカに幻滅した [0505]
『僕はアメリカに幻滅した 小林 至著 太陽企画出版 2001年1月 4刷 \1,700+税』 (購入\105税込み)
私達が、何と無く感じている“米国の不都合さ、不具合さ”を、この著者は実際に体験したり、ご自分で調べたりして、真の“幻滅”を感じられたようです。
私も、この本を拝見して、幾つかの点で、改めて米国に油断のならないものを感じました。(勿論、今のシナ|中国だって、そうですが)

それは、極端な拝金主義(資本主義と民主主義の乖離)、根底にある抜き難い人種差別(リンカーンですらそうだった!)、非機会均等な政策(投票日を忙しい週日に設定、投票権も申告登録制)などなど、一応民主主義を信奉する日本人にとっては驚天動地なことばかり。
まぁ、それで私のような日本庶民が、直ぐに何かアクションをすることは無いだろうけれど、例えば、最近話題の“TPPのような交渉事”などでは、日本人は必ず足をすくわれて負けてしまうから、余程賢く立ち回らないと、必ず大損をする!(過去に沢山の実績あり)という事は、意識しておくべきでしょうね。

現実の悪(わる)は、前面に姿を晒すわけではないから、お人好しの日本人が眼を凝らしても、一向に敵には見えないし、失敗して大損をしても、日本人は自分達の中から“悪いヤツ”を見つけ出そうとする。・・・ 真の悪は、黙々とガッツリ稼ぐのが、憂いの奥の院の、常ならむ♪
だからと言って、単純に“米国の言うなりはやめよう!”なんて叫ぶだけでは、これまた“脳が無い|能が無い話”ですけどね。
(昔、何処かで聴いた“かんは だまって くそをする”という巷の戯れ唄?を思い出しました。四の五の言う前に、きっちり|ちゃっかり実行ってことか!
また、古人の知恵、『敵を知り、己を知らば、百戦危うからず』を、面倒がらずに実践すべきでしょうね。

それと、「人種差別を無くそう!」という理想は結構だし、それは筆者も否定はされていませんが、米国の現実は、そんな生易しいものではなくて、実は未だに“血みどろの戦い”なのだそうです。
やはり、日本人みたいに“中庸でお人好し”程度の国民性が、一番良さそうな気がしました。でも、のほほんと構えているだけでは、“貧すれば、鈍する”ですから、「負け組み人種」にならないよう私達日本人は“身仕舞い”だけでも、きちんとしておきたいですね。

ウソをすべて話そう [0503]
エネルギーと原発の ウソをすべて話そう 武田 邦彦著 産経新聞出版 平成23年6月 2刷 \1,200+税』 (購入\105税込み)
“イエス”か“ノー”か、だけを聴きたがる人達にとっては、例えば、真面目な科学者が出す結論−“将来のことに関しては、誰も、精度の良い予測は出来ないのだ!”などというと、甚だ頼りない話|当てにならない話、としてしか受け取らないですね。
でも、そんな単純に割り切れた、都合の良い答えは、誰も出せない!(だから、責任の所在は、常に不明確のままですが) ・・・ 結局、個々人、自らが考えて出すべきことです。
その際の留意点は以下の通り!だそうです。
(ここでは、原発の再稼動に関してですが、私は、全ての問題に当てはまると思いますね)
  1.覚悟を決めて真正面から向き合う
  2.技術と思想とをわけて考える力
  3.科学的事実を認める力
  4.学問と表現の自由を貫く力
これらの纏めは、ちょっと曖昧で、私達には抽象的過ぎると思うのですが、大まかに“勝手解釈”をするとしたら、
『結果に対する責任は、皆さん全員-自分自身で負いなさい!自分に科学的知識が少ないと思うなら、必死で増やして、それで判断すべし!他人(専門家など)の意見に頼る時でも、責任は自分で負うべきです!』( ・・・ ってとこまでは、流石に(投石が?)ヤバイから、書いて居られませんけど。笑)
最近の専門家は、この武田先生のように広い観点から考えずに、物事をスポットでしか見ないから、見解が信用出来ない話が多いですね。ただ、新しい理論紹介や計測数値などは、「専門家達の情報」を利用させて貰わないと仕方がないのですが。

タイゾー化する [0501]
『タイゾー化する子供たち 原田 武夫著 光文社 2006年9月 1刷 \952+税』 (購入\105税込み)
え?“タイゾー”って、“芸人”の原田 泰造さんか?と思ったら、(国会議員に当選したことのある)今は“お笑い”の杉村 太蔵さんのことでした。(笑 ・・・ いや笑い事ではないらしいが)
その“タイゾー化”って何だろうと思ったら、
 *苦労せずに、いきなり成功
 *成功をメディアにひけらかし、何の衒(てら)いもなし
 *理念は語らず、印象論ばかり
の子供達、若者達のことだそうです。(ナルホド!そんな見方もあるのですね!)

この本で、著者が憂えているのは、そうした若者が増大し、日本国を守れる本当に優秀なエリート達やエリート集団が少なく|居なくなって来ている(悔しい)現実です。
そのために、「日本の国富(資産や人材)」は、(無知な)私達が気付かないまま、米国の“奥の院”へと吸い取られてしまっているよ!と警告されています。(米国政府は、“奥の院”の出先機関みたいなものだとか)
特に、私が気になったのは、日本の教育への間接的な介入(エリート育成の抑制やエリート達の外資系への吸収)が継続していることで、弱い日本がますます弱体化していること。

この本は、全般に、かなり説明不足の感じもあるのですが、概ね、正しいご指摘(群)だろうと思います。
確かに、私も、日本人の所得が増えないのに、国の借金ばかりが見事に成長しているのは、ヘンだと思い続けているのですが、それが“米国奥の院の搾取”によるものが大きい!と、改めて感じました。
勿論、お互い持ちつ持たれつですから、“打倒米国!”なんてことは言いませぬが、(バカは馬鹿なりに)私達も、次世代の優秀な人材を育て、そうした搾取勢力に上手く立ち向かい|立ち回って、これからの日本国を立て直して貰わなくては!
その意味で、(ロートルな)私達も、真剣に今の『教育』を考え直さなきゃいけませんね。

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