導育甘言集 2013.04    我楽多苑 別亭 (真面目な愚痴)]へ      表紙頁]へ

水滸伝(曙光) [0429]
『水滸伝(曙光の章) 北方 謙三著 集英社文庫 2008年6月 13刷 \600+税』 (購入\350税込み)
珍しく(百五円でない)中古本を買いました。実は、これには訳があった。
それは、このシリーズ全19巻を全部揃えて買うか(投資するか)?どうしようかと迷って、まず、1、2冊を試読してみてやれ!と考えたからなんですが。
更に、そのキッカケは、『楊令伝』の百五円本を数冊揃え始めたけど、これは『水滸伝』の続編らしいと分かったので、芋ズル式?泥縄式?に、そちらの方へ戻ったってわけ♪

で、この『水滸伝』ですが、古代北宋の時代に、悪政(汚職?)と重税で国が乱れていたのを、腕力、体力のある有志達が、“革命的・暴力的に”世の中を変えようと動く様を描いているようです。
“暴力的な革命”は、私達日本人、特に私には体質的に合わないので、読んでいても半分楽しくない、でも、ちゃんばら風な活劇は面白いので、甚だ矛盾した気持ちで読んでます。
(纏め買いの決心は、先に延びそう...)

今の“シナの共産党政府”は、こうした“大衆読み物”を好ましく思っていないそうですが、革命で出来た政府でも、やはり古びて来ると悪政化や汚職蔓延は避けられず、また“次の革命”で転覆される運命だからでしょうかねぇ。(苦笑)
((その国内治安対策のために、せっせと人民解放軍の)軍備強化をやってるらしいけど、過剰になって来ると国外にまで手を広げて来るから、隣国群は迷惑至極!)

私達日本人は革命は嫌いだけど、シナ|中国人は革命も辞さずでしょうから、(他事ながら)シナ政府の今のスタンスは気になります。
それに、“暴力革命”といっても武力だけとは限らず、現代では「サイバー攻撃」(産経ニュース)なんてのも暴力の一種になるから、危ないですね!

ストレスが人を育てる [0427]
『ストレスが人を育てる 永関 慶重著 道友社 平成18(2006)年4月 5刷 \1,000+税』 (購入\105税込み)
この本の表題『ストレスが人を育てる』と、見返しにある『一億総ストレス社会の日本。その反動としての癒しブーム。・・・ 背中を丸めた現代人に贈る人生の応援歌』の文言が面白かったので買って来ました。
まぁ、生物は皆、周りの自然環境との戦い≒ストレスの中で生きて来ているのですから、ストレスがあるのは当たり前!って気持ちで居なきゃあ、やってられませんよね。
この本で参考になるのは、人はどんな事をストレスと感じるか、それはどうやって解消すればいいかについて、色々な例を挙げて書かれている点(群)です。
人は、生き方が一人々々全部違うのだし、全部が同じ原因や症状に当て嵌まるわけではないけど、“自分の力で、何とか解決・解消したい!”と思えば、其処此処が参考になります。
ただ、これを読んで“原因”や“症状”を知っただけで、自分を改善|直せる|治せるわけではないと思います。やはり、自分で地道に改善努力をしなければ、何の効果も意味も無い!(“ウン!それは分かっているんだけどねぇ”...で終わってしまうのは最低でしょうね)
この本の中で、“物事にとらわれないことが大切だ”って書かれています。・・・ でも、これは要注意だぞ!
それを、“次のステップへの挑戦の邪魔になるのなら”という意味に取れば役に立つけど、“単なる癒し≒逃げ言葉”と取れば、害がある!

シルクロードと唐帝国 [0425]
『シルクロードと唐帝国 森安 孝夫著 講談社 2007年2月 1刷 \2,300+税』" (購入\105税込み)
この著者は、東洋史、西洋史や民族や国民について、独自の歴史観や見解をお持ちのようで、通り一遍の教科書的歴史書よりも、ずっと面白く読めそうです。
のっけから、「“民族”って、元々こちゃまぜたったんだから、そう簡単に分類出来るもんじゃあない!」とか、「東洋の歴史や文化の方が、西洋のものよりずっと古いんだよ!(何で日本人はヨーロッパやアメリカ文化なんかを有り難がってんだろ?)」とか、結構、はっきりした物言いをなさってますね。
でも、ちょっと気になったのは、「学校教育の場で国旗・国家を強制するのには嫌悪感を覚える」だとか、「・・・ 資本主義の申し子的連中が戦争をしたがるのである」とか断定して居られること。(これって、視野が狭過ぎるのでは?)
私の異見:
“義務教育”ってのは国(民主主義国家では、私達が選んだ代議員による政府)が、国民を育て、纏めるための便法の一つですから、“強制”は当然のことでしょう!(“憲法”や“法律”だって、立派な“強制”なのですからね)
歴史上では、国民が強く纏まらなかったために、他国・他民族・他グループからの攻撃や侵略を跳ね返せずに、奴隷化滅亡・消滅して行った多くの民族(いや、単に“殺されたり奴隷にされた人々”でもいいけど)があったわけだから、そう(嫌悪感をひけらかすだけで)のんびりと構えているわけにも行かないのでは?と思いますがねぇ。(もし、そんな戦争を仕掛けられたら、日本以外の何処かへ逃げ出すだけですか?)
で、“戦争をしたがる連中”は、“資本主義の申し子的”だけでしたか?果たして、世界の歴史ではそうなっていたのでしょうか?
例えば、“西欧の宗教戦争”や“シナの覇権戦争”は、その“資本主義的”と同じものなのかな?
どうも、この著者は、ご自分の主張を固めるために、自ら適当に“便宜上の枠”を設けてしまったのではないかと、思ってしまいました。
まぁ、こうした“独断”や“偏見”はあっても、解釈がユニークで面白そうなので、この本の後の方もじっくり拝見しようと思ってます。

奇貨居くべし(春風、火雲) [0423]
『奇貨居くべし(春風編、火雲編) 宮城谷 昌光著 中央公論社 1997年6月、1998年3月 各1刷 各\1,500+税』 (購入\105税込み、\210税・送料込み火雲編は、BOOK-OFFで見付けられなかったので、Amazon経由で購入
これは、“美味しいケーキ”を食べているような感じで、何処にも不快感が無い♪...でも、そこここで、主人公−呂不韋や当人を取り巻く人達の“物の考え方や態度”などは大変教訓的であり、色々考えさせられました。
例えば、“子供(主人公)を見て、その子の将来性を見抜けた(優れた眼を持つ)大人達や子供・若者達が居た”ってことですが、主人公の思考・行動も然ることながら、早くから主人公を支援したり、付き従ったりする側の“眼力や感度”が羨ましくて、気になりました。
現代社会で、私達普通人(学校教育者だけでなく家庭教育者も)でも、そうした(卓抜な)“眼力や感度”を持つことは出来るのか?また、どうすれば持てるのか?を考えてみると、少し心寒いですね。
その子供が、そんなに大物にはならなくても、何か(潜在的な)優れた特性を持っているのが見抜けたら、それを早くから支援して引き出してやることや、“場”や“機会”を与えてやることも出来るだろうと思うのですが。
(△△達が、○○達の潜在能力を見つけ出してやり、上手く指導してやれていないのが、惜しい!雑音や雑念に埋もれてしまっているから?)・・・ △や○には、何でも入る♪

ロウアーミドル [0421]
『ロウアーミドルの衝撃 大前 研一著 講談社 2006年2月 2刷 \1,600+税』 (購入\105税込み)
この著者の現状分析力・問題点抽出力の“凄さ”には、毎回感心させられますが、その後に必ず「・・・ だから、こうすればよい!」という具体的な提案が多くある点で、他の啓発書よりも優れていると思います。(他の啓発書の多くは、単なる“愚痴”に過ぎず、問題点は論うものの、xxしなければならない!ですよね!...で、終わってしまうのが常)
この本では、私達の多くは“ロウアーミドル”だから、そのつもりで世の中の現状をよく見て、自分達自身がどう対処すべきかを示してくれているように読めました。
この中で、こう書かれていたのに、共感しました!(私もそう思います!)
『私が、「もし、ひとつだけ改革するとしたら何をやるか」と問われたら、迷わず「教育」と答えるだろう。』と。
つまり、“ロウアーミドル”が(今のように)皆が愚かだったら、日本国はもう浮かび上がる力もチャンスが無い。だから、皆を持ち上げる方策は、「(今後の義務)教育」しかないってわけですね。
・・・ 確かに、その通り!なのですが、でも、現実の日本は厳しい! ・・・ 誰もが、(知らん顔して、)真面目にそうした改革に取り組もうとはしていないですもんね。
現に、日本の教育は、未だに“teach”状態であって、子供達の“learn”態勢にはなってないですね。これは早く皆が認識しないと!
私は、最近、幼児期には、自己学習するための(整理された)素材を豊富に与えること、成長期には、自分で物事を考えさせることに重点を置くべきではないかと思っています。
(今では、“幼児期の家庭教育”では、あまり好結果が期待出来そうにないので、地方や国が率先して「乳幼児-義務教育制度」を整えるべきではないかと、考え始めてます)

香乱記[上、中、下] [0419]
『香乱記[上、中、下] 宮城谷 昌光著 毎日新聞社 2004年1,2,3月 1刷 各\1,600+税』 (購入全\600税込み)
この本(群)は、私の思い込みが強過ぎたためでしょう、全然面白くなかった。orz
実は、オビに書かれた“主人公−田横(でんおう)の波乱の生涯”に期待して読み始めたのですが、上巻、中巻にはポツリポツリとしか出て来なくて、殆どが、秦帝国末期の情況が騒々しく描かれているだけ。それで、ずーっと失望の連続 。。。下巻の最後の方になって、やっと少し“田横の話”が増えた感じですが、やはり全然足りない!
それよりも、秦の宦官−趙高の悪辣さと第二代皇帝の愚かさに不快感を覚え、途中で放り出したくなったり、・・・ でもまぁ、そこはぐっと堪えて、一応最後までは読みましたが。
結局、(愚かにも、)オビの宣伝文句に騙されたようなヤーな気分。オマケに、所々、目障りな赤色の傍線が入っていたりして、余計に気分が滅入り。(左写真<クリック>)
でもこの本の中に出て来た、“(奇策)囚人20万人を兵士に作り変えて、連勝し続けた”秦の武将−章邯(しょうかん)に興味が湧きました。次に読みたい伝記モノ?は、(有るかどうかは分かりませぬが、)この人物のも加えておこうと思いました。

ホットな情報 [0417]
先日から、当苑記事内に動画を組み込もうとして、上手く出来ずに四苦八苦。 ・・・ 未だに半完成状態で、取り敢えず誤魔化してます。(苦笑)
やるべきことは、「HTML文」内に、「動画ファイル」を呼び出して、それを「適合プレーヤ」で起動出来るような、“呪文!”を書くだけでいいはずなのですが。(思うように、出来な〜い♪)
(旧くて)分厚い参考書を引っくり返しても、そんな情報は無い。(左写真)
今必要なのは、“ホットな知識や情報”なので、こうした参考書などは、もう備忘録の役目だけしか残っていない。
・・・ その点、“インターネット”は便利で、情報収集が大変楽で、有り難いです。
でも、一番の問題は、“何を、どう質問するか?”ってことですね。
つまり、「したい事」と「その途中ですべき事(群)」の間に、通常はかなりの溝があるわけで、“その溝”を、誰が(質問側?答える側?)どう埋めるかという問題が、大変難しい!
初心者であればあるほど、“何を、どう尋ねればいいのかが、分からない”ので、結局、漠然とした“目的”だけになってしまうのが悲しいところ。
(初心者は“渡れる橋”を望み、半熟人は“飛び石”を期待し、趣味人は“可能性の有無”だけ、ですかねぇ。d(^^;)
私は、ネット上でのQ&Aは、“すれ違いの悲喜劇”が多いので、ROMだけ。兎に角、アップされている記事群を自分で検索!検索!ですが、結局は、“検索語選び”がポイントみたい。 ・・・ で、後は、模写!改変!実験!のみ♪

で、上記の目論見の結果は、僅かな保有知識との妥協で。(笑)
ビデオのフレーム内再生が難しかったので、動画を「別枠」にしたら不要な白紙ページが出ます。が、それを「局所0ドット」に抑えました。
実は、それを、src=""(ブランク)にしたかったが、何も無しでは拙いようなので、「ドット1個(当ディレクトリ)」を使用。
ビデオ・ファイルは、絶対パスで書かないとダメなようです。相対だと、ソラシラン!って拗ねるブラウザがある。
  [動画表示用 html記述](枠内に表示しない処がミソ?)
	<a href="絶対パス−動画.wmv" target="fm">
	<img src="相対パス−静止画.jpg" vspace="12" width="400" height="300" title="<クリック>でビデオWMVの再生" width="320" height="240" align="left" border="1">
	<iframe src="." name="fm" width="0" height="0" frameborder="0" align="left"></iframe>
	</a>

青雲はるかに[上、下] [0415]
『青雲はるかに[上、下] 宮城谷 昌光著 集英社 1997年11月 1刷 各\1,800+税』 (購入全\210税込み)
これは、面白いことは面白いが主人公“范雎”のスケールの大きさが、今まで読んで来た本の内では、何と無く小さい感じがしました。(失礼!)
それは、単に私の中での比較であって、実際の人物はもっと大きかったのだろうと思います。
ということは、自分の中では、本を読む度に知識だけは膨らんで来ているので、つい、そうした(無意味に伸びた)物差しを使ってしまうからでしょう。
(これは良くない傾向です。謙虚に読まないと、吸収率が悪くなって、損ですね!)

知識といえば、この本の上巻で、こんな行(くだり)があります。
 『 ・・・
  が、故事を知識のなかにとどめておいただけの愚かさに、いまさらながら気づいてがっかりした。
  −知るということは、活かすということをしてはじめて知るといえる。
  そうではないか。 ・・・ 』
確かにそうだと思います!知識は、“活かしてなんぼ”のものであって、活かせない知識は幾ら溜め込んでおいても、価値が無い!
でも、難しいのは、結局は無駄だから溜めなくても良いのか、いや、溜めておかねば使おうにも使えないが、というジレンマのあることです。
例えば、算数や数学の嫌いな子供(達)に、無理にそうした学科を学ばせるべきか否かという事も、考えねばならないからです。
現在の学校教育では、ただ何と無く教えとかないと拙いのでは?って、曖昧な雰囲気・態度でやってますけどねぇ。

日本復興計画 [0413]
『日本復興計画 大前 研一著 文藝春秋刊 2011年4月 1刷 \1,143+税』 (購入\105税込み)
この本は、「あなたも参加できる あなたが力になれる」という“見出し”に惹かれて買いました。
“日本の復興”という大きなテーマで、個々人に向かって“あなたが...”と呼び掛ける書籍を見た経験は、あまり多くは無いから。
今までの本は、大抵は大上段に振り被って、結局誰に振り下ろす|誰が実行すべきなのやら良く分からず、結局は“政府”や“官僚”辺りに押し付ける話が多かったように思います。
でも、今の読者の多くは年金老人か、サラリーマンか、主婦や学生達だし、意識を変えなければいけないのは、そうした私達個人なのだから、この著者の着眼点は、新しい!と思いました。
この本の中で、指摘されているのは、“私達日本人の所得は、減る一方なのですよ!だから、日本は個々人自らが「日本の復興」を考えて行かないとダメになるんですよ!”などなど。
(この著者は、元々原子力関係の仕事をされていたので、話の内容も、福島原発・事故・対策の話も多く盛り込まれていますが、また、変人市長達−橋下氏等のことや道州制についても触れられています)
私は、“日本の没落傾向”は、「赤字国債の増大」で測れると思っているのですが、この著者は、(他国との比較で)「日本人の個人所得の低下傾向」で見て居られますね。
確かに、諸外国に比べて全然所得が伸びていないのが奇妙だし拙いことですが、それを誰が解消すべきなのかをはっきり指摘したものが、これまでは無かったか、少なかったように思います。あったとしても、一庶民である私の意識に届いて来なかったのは、“発信側(つまりは、有識者達)の責任≒発信する勇気の欠如”ではないかと。
(今まで、一般庶民や市民は常に被害者であり、その悲しい気持ち・心の方が重要であるが、“もう、それへの拘りは誤りだ”とはっきり指摘するのが憚られた時代が、長く続き過ぎたからでしょうか)
これから(日本社会で)必要で重要になるのは、個々人の“改善意識”を、“日本国全体”へ拡げることではないかと思っています。
“親方、日の丸”の意識から、皆が“親方は、自分自身だ”に切り替えて行かないと!
(・・・ だけど、また、“貧すれば、鈍する”という諺を思い出して、やるせない気持ちになりました)

曼荼羅の人[上、下] [0411]
『曼荼羅の人[上、下] 空海求法伝 陳 舜臣著 TBSブリタニカ 1984年1月 1刷 各\1,600』 (購入全\210税込み)
以前、司馬遼太郎氏の著書「空海の風景」を読んで、僧空海弘法大師)に興味を持つようになりました。(僧最澄の方は、今の処、興味無し!)
で、今回この「曼荼羅の人」を読みましたが、この本では、空海師が、留学僧となって遣唐使と共に唐に行き、そこで数ヶ月も経たない内に、密教の阿闍梨位灌頂(武道の免許皆伝の類?)を受けて、無事に帰国するまでの話で、師の“超人的な能力・活動”が伺えて、大変興味深かった。
文章にも優れ、筆も立ち、記憶力も抜群、唐文・会話に堪能で、梵文も出来たそうだし、密教仏教に対し、儒教道教とも対比出来て、広くて深い知識・見識を持つ人物として描かれています。(ありふれた言い方ですが、)最澄師が秀才なら、空海師は天才だった。
後で、司馬氏の「空海の風景」を読み直してみると、空海師の“天才性”は、やはり良質の家系や環境によって育まれたもののようですね。
このことからも、勿論、“本人の資質”がそれと和することは必要でしょうが、「天才」は、工夫すれば意図的・人為的に生み出す事が出来るように思うのですが。(そう言い切ると、天才の値打ちが落ちるかな?笑)...まぁ、大切なのは、周到に“用意された教育環境”ではないかと。
今の日本では、旧い制度・体制に甘んじたまま、沢山の天才達を生み出すことなど、諦め切って(成り行き任せにして)いるように思えてならないのですが、このままでは、日本国全体の損ですね!せめて教育環境だけでも、何とか改善したいものですが。

僕が15で社長に [0409]
『僕が15で社長になった理由 家本 賢太郎著 ソフトバンク パブリッシング 2001年12月 2刷 \1,400+税』 (購入\105税込み)
この本は、大変筋道が素直で読み易く、示唆に富んだ内容がたっぷりで、良い本でした!
身体にハンディがあっても、こんな素晴らしい生き方|活き方をされてたんだなぁ!と感心しました。しかも、ご自分でそのハンディなるものを解消・回復してしまわれたのが、凄い!
(強い意思や意欲によって、“隠れた自己治癒力”を引き出されたのでしょうね。それにしても、医者のミスによる後遺症=下半身マヒは、お気の毒な話です)

ところで、苦い話ですが、私は街中でハンディを持つ人達を見る度に、“何もそんなに、「社会資本」を、我が物顔で横取りしなくてもいいのに!”と思うことが良くあります。(甘え過ぎ!)
例えば、この本の中にも1箇所そんな所がありますが、車椅子を運ぶのを駅員が断ったからといって、それを責める権利は無いと思うのですがねぇ。
これは、「憲法に保証された人権」の考え方を間違えているからだと、私は思っています。
私は、決して“鬼”ではないけれど、日本の国家財政の赤字増大は、(利益を産まない慈善事業的な)社会福祉費用と無関係ではないと思うからです。厳しい言い方ですが、そうした負債を無視した福祉要求は、“只貰いの乞食と一緒”です。後で、何らかの形で返済して貰わなくては!

この家本氏の場合は、ちゃんと「社会に貢献する仕事」で幾つも返済をされて来た点で、逆に“社会の側”からは、恐縮してお礼を言わねばなりませぬ。特に、「学校での講演」などは、“社会的に高価値の返済”だと思いますしね。
蛇足ですが、先般の国民栄誉賞、“ゴジラ氏”などよりも、“イチロー氏”や、こちらの家本氏にあげたいですね!(でも、どちらからも、断られるでしょうけど)

血涙 [0407]
『血涙[上,下] 新 楊家将 北方 謙三著 PHP研究所 2006年12月 1刷 各\1,600+税』 (購入全\210税込み)
これらは、前の『楊家将』と違って、別の面から描いた“新版”かな?と思って買ったのですが、実はそれの“続編”でした。
内容が史実かどうかは分かりませんが、“人(間)の強烈な運命”の話なので、何とかハッピーエンドで終わればいいのに!と思いながら読んでいました。・・・ でも、そうは問屋は卸さないようですね。(筆者も、そんなつもりはなかったようだし)
日本の政治家やマスコミが、時々“ブレる、ブレない”という話をしますが、そんなのがチャンチャラおかしく聞こえるほど、この主人公(達)は、“ブレる”ことがなかったし、自分達の仕事、役割、運命に徹していたことに、感動しました。
普通に見ると、登場人物達の多くは“バカ正直”とか“偏屈”なのかもしれませんが、他方、“純粋”とか“美しい”とも感じますね。
それは、生きた時代と事情が、比較的シンプル?だったからでしょうけど、現代では、周りが複雑になったというか遠い所も(見掛け上)近くなっているし、考えねばならない事物も増えているから、なかなかそうシンプルな真似も出来ないかな?
(今時の私達のように“細く長い人生”に対して、こうした”太く短い人生”もあった|あり得るってことを知っておくのは大切かも)

三国志本 [0405]
『三国志 加来 耕三著 二見書房 2009年4月 1刷 \476+税』 & 『三国志の大疑問 おもしろ中国史学会編 青春出版社 2005年3月 1刷 \476+税』 (購入各\105税込み)
どちらも、全く面白くなかった!
(折角の筆者達の“豊富な知識披露”を貶(けな)しては悪いのですが、得るものが無かった)
「諸葛孔明」の方は“逸話集”のつもりで纏められたようですが、甚だ散漫で乱雑。
ゴミ屋敷の住人が、拾って来た“廃品群”を整理もせずに、そこら中に放り出してある感じで、面白さよりも、汚さを感じました。
「大疑問」の方もそんな風で、読んでいて、二つの目玉がそれぞれ独立に動くカメレオンを思い出しました。その目玉がきょろきょろとあちこちを向く様に似ていて、見続けると酔って来て、気分が悪くなります。
どちらも、知識を沢山拾い集めて来たのはいいのですが、それをご自分(達)の感性や思想で絞り込んで、“具体像(イメージ)”に仕上げる努力をされていないのではないかと。
「歴史小説」は面白いのに、「歴史教科書」が面白くないのと似ていますね。史実や逸話の羅列で、知っても、残念ながら私には使い道が無い!

父親の進化 [0403]
『父親の進化 仕組んだ女と仕組まれた男 小原 嘉明著 講談社 1998年3月 1刷 \1,600+税』 (購入\105税込み)
この本は、大変面白いし、自分を正しい生物として見詰め直す“良い参考”になりました!(笑)
“はぁ、なるほど!”、“へぇ、そんなことも?!”の連発で、何故自分の子や孫が可愛いか?何故その成長に尽力したいか、といった気持ち・衝動の生物学的な意味も良く分かりました。
様々な動物(獣類、鳥類、爬虫類など)の生き方を見ると、勿論、自分の命を存続させる事が“先”のはずですが、実は、子供を(沢山)産み、育て、繁殖させる事の方が“主目的”らしい。
これは“利己的な遺伝子の話”とも、よく合いますね。

人間のオスは、ただ自分の子孫を増やすだけなら、“一夫多妻”や“浮気”の方が効率は良さそうに思えるのですが、それは皮相的な見方で、実際に“永続的に子孫”を残せるかどうかは、そう単純ではないそうです。
例えば、“浮気性のオス”ばかりだと、同じメスを巡って、他の“浮気性のオス”と競り合わなければならず、その特性が優性として子孫にまで伝わるかといえば、それはアヤシイ!...状況や環境によっては、むしろ、メスに子供を産ませっ放しだと、後で他のオスによって“自分の子供”が損なわれる機会も増えるから、実質損な場合も出て来るそうで、そうなると“堅実派のオス”の方が有利になるかも。
人間特有の家族形態は、人間(の胎児)が頭でっかちになり、“早期(未熟児)出産”が不可欠になり始めたのが原因らしいですね。
人間のメスは、自分の出産・保育の過重な負担を減らすために、固有のオスを父親化して“保護役”にさせる必要が出て来たから、陰に陽に、“オスの父親化”を仕組んで来たそうですよ。(笑)
この本では、他の生物の生態を例にしながら、オス&メスの意味・意義が良く分かるように書かれています。

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