導育甘言集 2012.07 [我楽多苑 別亭 (真面目な愚痴)]へ [表紙頁]へ
悪と異端者 [0730]
『悪と異端者 筒井 康隆著 中央公論社 1995年10月 1刷 \1,300税込み』 (購入\105税込み)
この本は、面白い部分や面白くない部分、考えさせられる部分など色々ありました。
例えば、世の中の“常識外”を書くのが小説家の仕事で、小説家が常識内に留まってしまっていては、“意味が無い”のだそうです。
確かに、そうでなければ“面白い小説”など書けるわけが無い...とは思います。
ですが、やはり“常識”から程好い距離が保てないと、(後世では理解されたとしても)同時代の一般読者(常識人達)からはまったく理解されない/喜ばれない小説になってしまうでしょうね。
まぁ、「異端者」というのは、常に同時代人からは疎外される事になっていますから、それはそれで止むを得ないかも。
私が、著者にちょっと尋ねてみたいと思ったのは、『“悪を薦める小説”を書いて、世の中がそれに誘惑・誘導されてしまったとしたら、その小説は“善か悪か?” 』のような事。(何が悪か?と問われれば、例えば“地下鉄サリン事件”や“ホロコースト” ... ま、死人の数で決めてはいけないでしょうけど、塵も積もれば“悪”となる)
勿論、(多寡が)“小説”と“世の中の動き”との間に、それ程強い相関が生じるとも思えませんが、もし有るとしたら、そうした悪を薦める小説は、出来れば事前に世の中から排除したくなるのではないか?と、(常識的に)思ったり。
自分の遺伝子が分かる [0730]
『自分の遺伝子がわかる 阿部 博幸著 主婦と生活社 2001年6月 1刷 \1,400+税』 (購入特価\35税込み)
この著者の主張は、“自分の遺伝子の問題点を早期に知って、自分の発病予防に役立てよう!”ということらしい。
それは“前向きの考え方、行動”だから、一応は“賛成”なのですが、でも“ちょっと、待てよ ... ”と、私はかなり腰が引け掛けています。
昔は、夢のエネルギー源だと考えられていた「原子力利用」も、今では“悪事”になり始めたように、「遺伝子操作」もいずれそうなるだろうと予想出来るから。
「操作」と「結果」の間には、制御し切れない/渡り切れない深い溝がある。
もし、ほんの少しのミスでも全体が暴走し始めたら、福島の原発事故のように、人間の手には負えなくなることでしょう。(まぁ、それらを局所に抑え込めれば、何とかなるけど)
そうすると、「原子力発電」に対する世論のように、“そんな危険が内在しているなら、全部止めてしまえ!“って事で、技術進歩や改良などもそこで止まってしまいそうだし、一方では既にそれに多く依存してしまっているだろうから、「退くに退けない状態」になっているでしょうね。
(でも、歩こう♪歩こう♪前を向いて?!が、一応の答えかな)
起きていることは、他 [0728]
『起きていることはすべて正しい 運を戦略的につかむ勝間式4つの技術 勝間 和代著 ダイヤモンド社 2008年12月 2刷 \1,500+税』 (購入\105税込み)
この表題に素直に同意出来たので、躊躇(ためら)わず買って来ました。
自分の身の周りの出来事を、ありのまま適確に受け止めて、それらを全部、自分のメリット/プラスになるように“行動|非行動(私の造語)”しようという内容。
“非行動”ってのは、この著者によれば、『自分がしたくないことはしない』ってこと。
そりゃぁ、限られた自分のエネルギーや時間が、無駄になって、勿体無いだけですからね。
多くの場合、義理や人情なども絡んで来るでしょうが、(悪感情を残さずに)相手方にも納得して貰えるように振舞いなさい!ということでもあるようです。
そうすれば、お互いに多少失うものがある代わりに、双方共がもっと豊かに、幸せになるチャンスが増えるわけです。
でも、『しない』ってのは両刃/諸刃の剣で、やる気のある人間には有効でも、やる気の無い怠慢人間には格好の“言い訳”、“逃げ口上”になる。
ま、こんな“生き方”なら、きっと、歳をとっても“健康維持・増進のチャンス”には事欠かないし、“病気”なんかしている暇が無いだろうし、こういう“生き方”をする子供(達)なら、“いじめ”なんかには遭わないし、自らもしないだろうと思いますね。
確かに、この考え方は、多くの女性、男性達の手本・見本になるはずですが、他方、そんなことなどしたくないと思う人も多い?
ただ、ちょっと気になったのは、世の中に、こんな(強いシングル・マザーの)女性ばかりが増えたら、我等ひ弱な男性群は、居場所が無くなるではないか?って心配も。(だから、男なら、“できな〜い♪”なんて云わずに、“ダメモトでも、やったろ!”と男らしく頑張らなくっちゃ!)
医者につけるクスリ [0727]
『医者につけるクスリ 永井 明著 平凡社 1992年11月 1刷 \1,400税込み』 (購入\105税込み)
当初は、あまり期待していなかったのですが、結構面白かったし、(元医師だった)著者のご指摘はやはり鋭く、ヘンに常識的な線で纏めてしまっていない処も、色々参考になりました。
中で披露されている話(他医師の話?)で、『ぜんそく患者に、「これは、ぜんそく治療薬です」といってアレルゲンを吸入させても発作を起こさず、逆に「これは、アレルゲンです」といって、実は治療薬を吸入させると、ぜんそくの発作を起こしてしまう』話がありましたが、やはりそれ程、人間の“病”と“気/心”とは、関係が深いってことでしょうね。(でも、ホントに実験したのかなぁ?)
だから、私が摘み食い的に実験した「アルカリ・イオン水」も、“半信半疑的な実験”ではダメで、もっと信心深く(!?)飲んでいれば、効き目は有ったかもしれないな!と思ったり。
(科学的手法で検証してやろうという“心掛け”では、「自己実証」などは出来ないのかね?)
無駄本 [0726]
『間違いだらけの教育論 諏訪 哲二著 光文社新書 2009年8月 1刷 \740+税』 & 『日本人のための論理的思考とは何か 鷲田 小彌太著 日本実業出版社 1997年1月 1刷 \1,400+税』 (どちらも、購入\105税込み)
どちらの本も、読んでもちっとも面白くない上、自分の役に立ちそうな話が、殆どありませんでした。(多分、いい事は、一杯書かれてるんでしょうけど...)
沢山の例を引いて来てはあるんだけど、読んでいて、何と何が云いたいのか良く分からず。
漏斗(じょうご)のように出口が絞り込めていなくて、笊(ザル))のように、そこら中からザーザー漏れ!(お後は、読者の受け取り方に任せますよ!ってな具合でして)
そんなのを、ペロペロ・キャンディのようには舐められませんしねぇ。
昔の私なら、「読書百ぺん、意自ずから通ず」とか言われていましたから、努力して読み返すこともあったでしょうが、今は“さっと読んで意味が採れないなら、自分の能力を超えているから、役には立たなーい!”とあっさり棄てることが出来ます。他に良い本も沢山ありますから、何もこれらだけに負ぶさる必要は毛頭無い!
聖徳太子はいなかった [0724]
『聖徳太子はいなかった 谷沢 永一著 新潮社 2004年4月 1刷 \700+税』 (購入特価\105税込み)
お札にまでなっている伝説の人物が、“居なかった!”というのは、吃驚!か?...いや、実は“聖徳太子”は創られた人物ではないかと言った話は、昔から小耳にしていましたから、左程驚きはしませんでしたが。
昔の史書、特に「古事記」や「日本書紀」は、それが書かれた時代の「政権の創作物」らしいから、その政権に都合の良い、或いは必要な話にしてあるはずですね。
だったら、聖徳太子の一人や二人なんて、簡単に♪...でしょうし、また、そうした人物を創り上げざるを得なかった事情もあったのでしょう。
それを、後世の人達が、如何に真面目くさって研究に研究を重ねて来たかってことを、この著者は真面目に冷やかして居られます。
“聖徳太子がいなかったなんて、そんなことを聞くだけでも不愉快だ!”といった東大教授も居たそうですが、そんな話を聞くと、逆に愉快になりますね♪
しかしまぁ、この著者の、『史書の記述そのものが、おおきく見れば編述者の主観に発する創作であり、利害が錯綜する人の世に、客観的な記録などありえない』・・・ という見方は、私にも納得出来る話ではあります。
尚、この本の思わぬ処で眼にしたのが、日本国憲法には“英語の原文”があるらしいって話!...英語力の無い私なので、兎に角、解説本でも一度見ておかなくては!(“英語原文”ってのにも、色々弁解があるようですが、いずれにせよ、日本国憲法は、GHQが許可を与えるべきものだったわけですね。苦笑)
悪魔の思想 [0722]
『悪魔の思想 谷沢 永一著 クレスト社 平成8年2月 1刷 \1,600税込み』 (購入特価\35税込み)
この著者の意見を拝見して、世の中には、“待って居れば、勝手に向うからやって来る正義”なんて、やはり、何時の時代にも、何処にも無いんだなぁ...と慨嘆させられました。
第二次大戦後に、日本で行われた『東京裁判』は、日本のみならず世界の何処を探しても、“「裁判」として成立するはずの無いこと”なのに、戦勝国が勝手に成立させたものらしい。
“「法」は、後から勝手に作ってはいけないもの”なのに、『東京裁判』で使ったのは、全部それらしいですね。・・・ 今、流行の“いじめ”と同じ!
それなのに、自分の地位(法学者)を利用して“『東京裁判』合法論”を展開し、しかも“皇室無用論”まで吐いた日本人が居たと知りました。
その人物が、一言の意見訂正・修正も無いまま、後日、「天皇陛下」から「文化勲章」まで受けているのですから、はてさて何をか言わんや!
ま、当時は“GHQやマッカーサ怖さ”や“自分の地位保全”もあったのでしょうが。。。こうした、他国のエゴに、阿(おもね)る人達って、何時の時代、何処にでも居るようですねぇ。(昔は“進歩的文化人”、中は“社会党首相”、今は“民間人外交官”)
(で、思ったのは、私達日本人は人が好過ぎるというか、“他国(人)に捧げるために、自国(人)を傷付けるのが正義”だって思う悪癖は、そろそろ止めないといけないなぁと)
いま、遺伝子革命 [0722]
『いま、遺伝子革命 大朏 博善著 新潮社 1996年9月 (1刷) \1,500税込み』 (購入特価\35税込み)
この本は、遺伝子技術や産業について、素人にも良く判るように纏められています。
それだけに、(金儲けのネタを探して、何が出て来るか分からない)ジャングルの中に分け入っている“遺伝子研究と技術”の将来に、薄暗い“怖さ”を感じました。
“遺伝子”って、例えてみると、「囲碁」に使う“(それぞれが微妙に違う!)一個の碁石”みたいなもので、“置く場所”や“置くタイミング”によって、出来上がる生成物の状態・効果が全く異なるのに、「遺伝子研究」で、碁石一つ一つを細かく分析しては、無理矢理“マクロな話”と結び付けて、「遺伝子工学/技術」にしようとしている風に見えます。
それに、『遺伝子組み替え技術』は、“作物の異種交配で新種を作り出すのと同じ/似たようなものだ”と云われているようですが、幾世代もの長い時間を掛けて自然環境の中で(自然発生的に)行われる「異種交配」と、顕微鏡下で行われる(強制的な)「短時間組み換え」とが、本当に同じなのかな?との疑問も感じました。
先般から、あれこれ『似非科学』について考えているのですが、“原因”と“結果の遠さ、あいまいさ”から考えると、この「遺伝子工学」もひょっとしたら、(まだまだ手探りの)似非科学の部類ではないのかなと思ったり。
(ま、外野で、ごちゃごちゃ言っても、兎に角、“やった者勝ち”の世の中ですからね。果ては、どうなりますやら?)
憑神 [0720]
『憑神つきがみ 浅田 次郎著 新潮社 2005年9月 1刷 \1,500+税』 (購入\105税込み)
“息抜きに”と思って買った本ですが、いやぁ!面白かった!
主人公が、期待するでもなくうっかり祈った「お稲荷さんの祠(ほこら)」が、“貧乏神”、“疫病神”、そして“xx神”ら三神への依頼窓口だったそうで、“よろしう!”という願いが、順次、該神ら(!)に聞き届けられた/られるという話。
その神々も、上神の意向や主人公への思い入れなどもあって、あまり自分勝手には出来なくて、あれこれ悩みを抱えながらの業務遂行(!)だったようです。(笑)
結局最後は、主人公が、ある意味で神達に負けながら、勝ったらしい!?
荒唐無稽(こうとうむけい)な話でありながら、主人公の結構(くそ)真面目な生き方と絡み合って、程好いペーソスとユーモアが味わえました。
(この本は、他の方達が読んでも面白いかと思うので、BOOK-OFFへ返却予定!)
林住期 [0720]
『林住期 五木 寛之著 幻冬舎 平成19年4月 4刷 \1,400+税』 (購入\105税込み)
こちらの方は、全くの期待外れでした!
先日、この著者の本を読んで、興味を惹かれたので、これともう一冊を買って来て読んだのですが、どちらも極めて物足りなかった。
多分、採り上げられたテーマが、私の生活と掛け離れた処にあるからなのでしょうか?どの話も、あまり、ピンと来ませんでした。
という事は、同じ人間でも棲む世界が違うと「愉しさの共通項」が見出せない!ってことのようで、この著者は、人間(日本人全体?)というものを、実は、あまり深くまでは掘り下げていないのでは?という感じがしました。
勿論、著者の世界や話に共感する人達も、大勢居るのだろうと思いますが、今回の本では、少なくとも私の居る領域にまでは、広がって来なかった!
(私と違って、この本に感激する人達も居るかもしれないと思うので、これもBOOK-OFFへ返却予定)
秘訣は電子に [0718]
『健康の秘訣は電子にあった 井戸 勝富著 かんき出版 1993年7月 1刷 \1,400税込み』 (購入\105税込み)
この著者は、恐らく独学で色々な話を、丁寧に勉強・研究されて来たのだろうと思いますし、記事の大半は、間違いの無さそうな話のようです。
しかし、所々、“誤解されている噂話”や“疑わしい仮説”をそのまま引用されていたりして、言わば“耳当りの良い、素人向けの講話”って感じ。
「高電圧を掛けただけの電子水」が、何にでも効くって言われても、それは“風が吹けば、・・・ 桶屋が儲かる”のと大差ないから、(水惑いの!)私でも、ちょっと無理!(笑)
後の「実証体験レポート」に見られるように、食品業、畜産業、農業の人達が、結構思い切った投資(例えば、炭素埋没を45トンとか、100トンの電子水貯蔵タンク設置など)をして、良い効果があったという話ですが、それだけの投資をさせたのなら、“なかなかの説得力”だなぁ!と、(主旨とは違った意味で)感心。
まぁ、ちょっとした新興宗教でも、信者のお布施で“キンキラキンの宮殿”を作り上げることくらい朝飯前らしいので、そうした投資額で驚いていては、肝っ玉が保ちませぬが。(笑)
で、「高圧静電気?を印加した電子水」ってのは、『励起振動現象という興奮状態になって、・・・ 水分子がもっとも小さなクラスターになる』そうですが、これを“宗教説話扱い”にするか、“非科学話扱い”にするか、“物性仮説扱い”にするかが難しい!(笑)
でも、“励起状態”ってのは、“通常状態”から高エネルギー側へズレている状態なので、通常物に対しては危険であるのは間違い無いですね!つまり、紫外線照射みたいなもので、焼き過ぎると火傷になるし、足りなければ効果が無いから、もっと定量的分析が必要!
それに、“水クラスタの存在”は、未だに証明されていませんしねぇ。(例の半値幅説は、他の研究者からの否定反論がある)
子供の感性を育む [0718]
『子供の感性を育む 片岡 徳雄著 日本放送出版協会 平成2年9月 1刷 \780税込み』 (購入\105税込み)
む、この本は、残念ながら...思想や主張が無いみたい!
内容は、“世の中の出来事”の(学問的?)分析ばかりで、誰に、何を訴えたいの?かが、全く分かりませんでした。
ただ、“あれもあるし、これもある、こんなのもあるよ!”って、だらだらとした記述ばかり。
私が欲しかったのは、例えば、学生に向かってなら、“貴方達が低学年を担当する時には、ここがポイントですよ!”とか、世のお母さん達に向かってなら、“毎日の生活の中で、此処を重点的に実行したら如何?”とか、政治家に向かってなら“行政には、これをやらせなさい!”というようなハッキリした主張が欲しかったのですが。。。そんなのは何も無いみたいですね。
(もしかして、埋もれてる? でも、私は読み取り損ねた!)
(いずれにせよ、この本は、私には全然役に立たなかったので、BOOK-OFFへ十円?で返却予定)
大坂侍 [0716]
『大坂侍 司馬 遼太郎著 講談社 昭和57年12月 2刷 \980』 (購入\105税込み)
うーむ、面白かった!...やはり、司馬さんの作品は、何時どれを読んでも、愉しいか、しっかり考えさせられます。
6編の中の一話、兄の仇討をしようとする(家が没落寸前の)若侍と、仇討を(金銭扱いで)取引しようとする(腕も立つ)仇の“口利き屋佐平次”(剣客兼易者兼談合屋)とその(未婚の)妹が絡んだ話。
(剣の実力も無い)その若侍が、(返り討ちにも遭わず)体よくあしらわれながら、最後は、妹を貰わされて店の手代にさせられるのですが、読み終えてホッとしました。
通り一遍の“仇討話”ではなく、実力のある人物(この場合、佐平次)なら、“自分への仇討”でさえ“実利のある形”に変えられる!?っていうユーモラスな話ですね。
反面で、今の家庭・学校教育のように、“誰もが同じ、(低い)レベルの人間に育てばいい”としているのを、(司馬さんが)皮肉っぽく、眺めて居られるような気(?)がしました。
(まぁ、子供達皆がどんぐりのままで、“実力差”や“個性”が無ければ、いじめの問題などは、永遠に無くならないでしょうね)
いじめが終わるとき [0716]
『いじめが終るとき 根本的解決への提言 芹沢 俊介著 彩流社 2007年7月 1刷 \1,600+税』 (購入\105税込み)
表題に期待したのですが、ちょっと期待ハズレ!
最後の結論だけが“一般論”と共通している程度で、そこに至るまでの分析などは、冗長なだけでした。
結局、一般論として考えられるのは、「いじめられる子供」は、“自分・自己確立が出来ていないし、自分・自己の存在を、(あいまい)集団の中にしか見出せていない”ってことでしょうね。
例えば、子供(達)に、“君/貴方の友達は、何人居るか?”って尋ねてみると、それが良く分かると思いますよ。
昔だったら、居ない!だとか、一人か二人を挙げていたでしょうが、今の子供(達)は、クラス全員だとか、グループ全員を挙げるのではないかな?(そんなのを友達と云うのかよ?)
これは、学校や教師達、それに親達が、生徒達を無理矢理「全員同じ定型」に押し込めようとし、表面的に“皆、いい子”に仕立てようと努めているからでしょう。“はみ出す生徒”は、教師の方から、“疎外”や“いじめ”を受けるらしいし。
私は、もうそろそろ、世の中のいじめには無関心で居ようかと思い始めました。
どうせ、いじめで自殺する子が多少増えたって、「適者生存の法則」から見れば微細な事なのに、マスコミが寄って集(たか)って、(野次馬根性丸出しで)大袈裟にワイワイ♪と...時には、火を消そうとせずに、団扇などで煽ったり。
ただ、私は自分の孫達が、どうやればそうした被害に遭わないよう出来るか、また、どう教えれば下手な加害者にはならないように出来るかを考えながら、付き合ってやろうと思ってます。
他力 [0714]
『他力 五木 寛之著 講談社 1998年10月 5刷 \1,500+税』 (購入\105税込み)
この著者の本を見る/読むのは、もしかしたら初めてかな?!
でも、共感する内容や啓発される内容が多くありました。(他にも、この方のが幾冊かあったので、後日また買い足そうと思ってます)
共感し、啓発されたのは、高光大船という人の言として紹介されていた『自分は人のお手本にはなれない、だけど見本ぐらいにはなれるだろう』というくだり。
私自身、今居る5人の孫達に対して、どんなお手本になれるだろうか?と、何時も気に病んでいるのですが、これを拝見してふっと気が楽になりました!
確かに!“見本”か“標本”くらいにはなれるかも!(笑)
また、へぇー!と思ったのは、この著者もよく引用されている『免疫の意味論』 多田富雄著が、大佛次郎賞を受賞したって話。(「27刷」のベスト・セラーだった理由、納得!)
その他、色々な話を拝見し納得したりして、常に“周回遅れ”で走って/歩いている私ですが、“10〜20年遅れ”は左程困る時間差ではないなぁと、認識を新たにしました。ハイ!
神隠しの日本 [0714]
『神殺しの日本 [反時代的密語] 梅原 猛著 朝日新聞社 2006年9月 1刷 \1,200+税』 (購入\105税込み)
この本を買ったのは、表題に興味を持ったからでしたが、50ページほど読んでみて、書かれている意味がよく分らなかった、というよりちょっと浅薄過ぎるので、後は飛ばし読みしました。
私の読み違いでなければ、この著者は、日本人の『神という意識&無意識の存在』を、至極薄っぺらなものだと認識されているような気がしたからですが。
「靖国神社への政治家の参拝」が“良くない”だとか、それが“憲法違反だ”とか、“中国や韓国の反発で、国益が損なわれる”だとか、妙にイジマシイ姿勢なのも、この“古代史の大家”の裏側が透けて見えたようで、大変残念!
私は、“(靖国)神社への(政治家達を含め)日本人の参拝と祈り “ゴクロウサマデシタ!”は、するのが当たり前のことで、一般の日本人が食事の前に、極く自然に“イタダキマス”、“ゴチソウサマデシタ”と手を合わせる「心、気持ち」と同じものだ!と思うんですがね。
そうした感謝の気持ちは、勿論、食物を恵んでくれる自然!(神様?)に対してだけでなくて、作物を作ってくれる農家の人達、漁労の人達や、運んでくれる物流の人達、販売の人達、調理をしてくれた親や配膳担当、それからゴミ収集・処理の方達の皆を含め、『自然や社会、総て』に対する「感謝の気持ち」を大括りにしたものでしょうね。
(あ!そうそう。“給食代は自分が払っているのだから、子供にそんなことを云わせるな!”というバカ親も居るらしいですが)
まぁ、“普通日本人の心/気持ち”は、やはり“日本古来の厚みや広がりのあるもの”ですよね!違いますか?(2006年代の)梅原さん?
それを、外国の連中がとやかく云うからってオタオタしてた/してるのは、“ちょっと、(あたまが)軽薄すぎるのではないかい?”って感じ。
巨人? [0712]
『縛られた巨人 [南方熊楠の生涯] 神坂 次郎著 新潮社 1993年5月 26刷 \1,550税込み』 (購入\105税込み)
以前から、南方熊楠という人に興味があって、その「記念館」を覗いたこともあり、今回偶々見掛けたので、この本を買ってみたのですが、(どうも相性が良くないのか、)“この人物の生き方”にあまり共感が持てず、読んでいる途中で放り出してしまいました。(申し訳ない!)
異様なほどの記憶力、高い知能を持っていた人物らしいのに、“社会への貢献度”が意外に低いように思われたし、そうした能力を、只、自分自身のためだけに使っているような感じがして、大変勿体無い気がしました。
幕末から明治に掛けて活躍した他の偉人や巨人達は、やはり野放図、常識外れの生活態度でありながら、“社会を変えたい、良くしたい!”という世の中への寄与志向が見えていたから、読んでいてあまり不快感は無かったのですが、この人物の場合はちょっと...
私のような“凡暗”は、自分の能力を目一杯に使っても、自身が生き延びるだけで精一杯なのですが、“優れた能力を持つ人(達)”は、それなりに、“何らかの社会貢献”をして頂きたいと思っているから。
産業界でも、教育界でも、世の中への“波及効果”のある方がいい。でも、この人物のように、徒に野に埋もれてしまったのではねぇ。
複雑系 続き[0710]
『複雑系 Complexity M・ミッチェル・ワールドロップ著 前掲』
やっと、第八章まで読み進めて来ましたが、俄然面白く、興味深い話になって来ました♪
“基本的な素材と簡単な幾つかの規則だけで、ボトムアップ式に、(極めて複雑な)人工生命を(勝手に!)誕生させる事が可能”らしい。吃驚!納得!
そうした方式の個体群志向の考え方で、(コンピュータ・)グラフィックス植物を栽培させた例もあり、規則は「植物全体の最終的な姿」については何もいっていないのに、驚くほど現実味のある潅木や、大木などを生み出すそうですし、また、規則の選び方で、現実の植物種にそっくりのコンピュータ植物も造り出せるそうです。
きっと、その方式を推し進めれば、(そして、長い時間を掛けるか、あるいはコンピュータの能力が更に上がれば、)他の動植物や人間などの“人工生命”までも誕生させる事が出来そうですね。尤も、“誕生させられる”ってのは、“現実の成り立ちは、それで巧く説明出来る!”ってことですが。
逆に、トップダウン式で作ったそうした“人工生命”は、幾ら規則を多く、複雑・微細にしても、やはり、“融通の利かない、ぎこちないもの”しか出来ないらしい。(成長途中の不測の事態には、上手く対処出来ないから?)
ということは。。。「もし、“人間”を創るとしたら、“(トップダウン式の)神さま”よりも、“(簡素な)ボトムアップ式”の方が、もっと現実味のあるものが出来て、それに、バラエティにも富ませられる!」ってことではないのかな?!(流石に、著者達は“神さま”に関して、其処まで突っ込んでは言っていませんが、折に触れ、研究者達の間では色々議論はなされている模様)
萬斎でござる [0708]
『萬斎でござる 野村 萬斎著 朝日新聞社 1999年12月 3刷 \1,700+税』 (購入\105税込み)
山本寛斎さんと、この野村萬斎さんは、私の“好きな芸術家”というとかなり語弊がありますが、“素敵だな!”、“羨ましいな!”と思う方達です。
その道に直向(ひたむ)きでありながら、しかも常に新しいものへ、果敢に挑戦して居られるようだから。ついでに、もし“芸術科博士号”(が、あれば、そんなの)を、この方に差し上げたいものだと思いました。
本の内容で、なるほど!そうだ!と思った処が幾箇所かありましたが、其の一つ。
『様式を守る事は重要。様式なしで遊ぶのは、囲いのない野原で鬼ごっこをするのにも似て、疲れるだけでちっとも面白くない。・・・ 囲いがあるから、人間は考え、守るべきところや入れ替えるべきところが、ちゃんと見極められる。・・・ 後継者を育てる際は、そうした見極める目を持たせるべきで、“単なる踏襲”で終ってはいけない』と。これは、普通の子育てにも通じるような気がしました。
五輪書 [0706]
『五輪書 大森 曹玄監修、寺山 旦中著 講談社 昭和59年6月 1刷 \1,200+税』 (購入\105税込み)
以前から、この宮本武蔵翁の「五輪書」の存在は知っていたけど、一度も読んだ事は無かったのですが、偶々、BOOK-OFFで見掛けたので、“出会い”だと思い、買って来ました。
この「五輪書」に書かれている内容の多くは、十分納得が出来たのですが、それらの“真実さ”よりも、むしろ宮本武蔵という人物の“追求の仕方の凄さ”を、感じました。
兵法の“道”を、徹底して追及すべし!それも、実用性に徹すべし!という姿勢・行動・指示は、単なる“理屈”ではなく、“行い”であり、例えば、“世間に多く居る評論家の表面的評言”などではない!ということでしょう。
うむ...まぁ、私のような凡人は、厳しく徹底した追及が出来ないから、言わば“評言”留まりなのかもなぁ...とも思いました。(苦笑)
この本で改めて教わったのは、兎に角、何事も“実行”すること!で、迷っても先ず“実行(始めよ!)”、失敗しても先ず“実行(やり直し!)”
複雑系 [0704]
『複雑系 Complexity M・ミッチェル・ワールドロップ著 田中 三彦&遠山 峻征訳 新潮社 1997年4月 17版 \3,300+税』 (購入\105税込み)
この本も、大変値打があります。百五円では勿体無いほど...ですが、まぁ定価だったら買っては読まなかったでしょうけど。...それはそれとして、
この“複雑系(研究)”からすると、現代の最先端研究がどれも、狭くて尖鋭的な“蛸壺研究”に堕してしまって、格好良くご都合主義的に纏められているため、(間違いではないものの)現実には丸っ切り役に立たない理論や作法ばかりらしいですね。
で、それを打破するために、全体を素直に眺め、“複雑を前提にして、各要素が、疎に影響を及ぼし合って変化し、やがてある形に収斂するもの”としてみるべきだという考え方や研究の動きが出て来たそうです。(約15年前?から。これはもう、「カオス理論」の先を行くらしい)
そうした考え方は、「経済学」でも必要だそうだし、「分子生物学」の分野でも同じでしょう。
よく考えると、今の「医学、医療」にも適用すべきではないかと思います。
最近、孫娘のアトピー皮膚炎の治療方法に関して色々本を読んで来て、つくづく思うのは、昨今のアトピーや癌などの“不治病”に関しては、どんな「治療」も、“蛸壺療法”ではないかと。人それぞれで、身体も生活も違うのだから、当然「治療方法」も人毎に違って来るはずですから。
(今やられている西洋医学方式の治療法は、まず“自己免疫機能を抑え込む”っていう「共通化のための非個人化残酷手法」のようだから、怖い!やはり、これにも「複雑系の理論」を適用した「治療方法」を考え出して貰わないと、安心して“医療”を受けられませんね)
鑑定の鉄人 [0702]
『鑑定の鉄人 中島 誠之助著 二見書房 1995年8月 1刷 \850税込み』 (購入\105税込み)
この方は、やはりプロですね!
自信と誇りをお持ちだから、雰囲気に“カリスマ性”があり、言われる事に説得力があります。
この本の中に、こんな節があります。
『だから、若いときにいい音楽、いい文学に触れ、いい友達と付き合い、いい旅をしなさいということです。ひた向きに生きなさいということです。 ... 骨董を専門の商いにしたときもおなじこと。ひたむきに前向きの勉強をしていくことです。』
私などは、そこまでは出来なかったから、今のようなボンクラになってしまったわけですが、“そうした言葉”が素直に理解出来るようになったのは、“若い頃ではなくて、歳をとってから”というのがちょっと癪ですね。(人生の“皮肉”ってことでしょうけど)
ということは、老いたボンクラも、そうした“こころ”を少しでも、若い人たちに伝える努力を、“ひた向きに”せねばいけないのかも。(苦笑)
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