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物事集 令和元年年六月版



『古事記 いのちと勇気の湧く神話』   「六月二十日」

『古事記 いのちと勇気の湧く神話 大塚 ひかり著 中公新書ラクレ 2012年7月 1刷 ¥820+税』 (¥108税込み)

この本は、『古事記』という、常識では大変理解し難いような内容と文体の“歴史書”(古代文学でもある?)を、ばっさりと“現代の会話”調に直して書いてあって、大変読み易く、かつ面白い♪
しかし、無理に現代風俗的な解釈をしようとして、ヘンな内容になっていて苦笑いを誘われる箇所も多い。

...これを読みながら、神話の時代のまことに荒唐無稽な/とんでも性愛話には、実は、“無性生殖”や“有性生殖”といった“生物学的”には重大な内容を示しているのではないかと思う。
例えば、“独神”が現れて消えたとか、“姉弟の和合”で子達を造ったとかいった話を“遺伝子レベルの話”とみると、“それもありかな?!”と思えてくる。
糞を撒き散らしたり、それが食物になったりする話も、細胞レベルや細菌レベルで考えれば、実際に起きたことなのかもしれない。

「古事記」の“神話”は、単細胞生物の時代の微かな記憶から、単性増殖時代やミトコンドリアとの共生時代の記憶、両性生殖の時代の記憶などが「遺伝子/DNA」の中に蓄えられて来たとして、敏感な人が自分自身の身体の中から、それらの密やかな記憶を探り出して来て、人間の等身大にまで拡大解釈し“神話”として再生したのではないか?
大体、生物の“遺伝子”にとって、“ミトコンドリア”などという“一種の外敵”であるものに、内部にまで入り込まれて、やがては“共生”に至り、それが男性と女性の性別を分け、両性生殖を促すことになったわけだから、生半可な生存・継承の歴史物語では有り得なかっただろうと思う。
それらが、遺伝子/DNAの連鎖の中に“記憶”として刻み込まれて来たのではないか?

もし、竹内久美子が『古事記』の“神話の時代”を深堀り解釈されていたら、きっと真相に近いと思える話が聞ける/読めるのではないか?と期待しているのだが。
尤も、それを裏付ける為には、“物理化学的な遺伝子解析学/分析学”などの更なる進歩を待たなければならないかもしれないが。



株投資・収支 増益   「六月十四日」

“配当金”目当てで、さる銘柄を安値の時に600〜700株程買い込んでおいて、その“配当”を“管理費の支払い”に当てようと考えているのだが、なかなか安値にならないので、株数を増やせないままで来ている。
モタモタしている内に、株主総会の案内が来て“予定配当金”の提案があった。(図1)
これで、200株分、およそ1万8千円(税引き)程の収益になりそう。

この会社の経営状態はなかなか好調らしいので、株価が更に下落することは無さそうだから、今後の“株の買い増し”は、結構難しそうだ。
なので、此処はいったん手仕舞って/利益を出しておいて、それを“管理費支払い”に当てようと考えた。
少し以前に3千円、2千9百円で100株ずつ買ってあったのを、今回両方同時に3千4百円で売った。(図2<クリック>
以前の分と合わせて、売買だけで約9万8千円の収益となるようだ。これで、およそ“支払い2年分”が確保出来たことになる。

“当初の決心=配当金で充当する”とは違ってしまったが、“こんな方法(配当金でなく売買益で充当)もありかな?!”と自己納得。
これから再デフレに向かうはずなんだが、もしかして、世の中気まぐれだから、騒ぎに逆行することもあり得るかな?!
となると、この銘柄を“底値”で、買える日は何時来るのだろうか?(苦笑)

ところで、昔から「財務省」は、“経済成長を抑える悪者”にされているようだが、何故彼らはそうまでして“財政健全化”を図ろうとするのか?その(本当の)本音が、良く分からない。
もしかして、日本国が、米国を抜いて経済・世界超1位になってしまうのを恐れているからなのか?
そういえば、伸して来た中国/シナが米国から本気で叩かれているが、もし日本が米国を抜いてしまえば、同じような目に遭わされないとも限らないわけだ。
「財務省」は、そんなことは公言出来ないわけだから、別の理由付けで、我々日本国の更なる経済成長を、無理にでも抑え込もうとしているのかもしれない。そして、安倍首相もそれに納得しているとしたら、“消費税増税”も覆えす気はないだろう。
...しかし、本当に“平均的で低活性な日本・日本人”へと誘導するのが良いことなのだろうか?



『北方 水滸伝』   「六月十日」

『北方 水滸伝 北方 謙三著 集英社文庫 2006年10月〜 〜16刷 ¥600+税』 (各¥108税込み)

以前にも読んだのだが、また、最近買い直して、読み耽っている。
実は、先回までは、読んだ後、必ず「BOOK-OFF」へ返納(?!)して来たが、今回、このシリーズは(三度目の正直?で)長期自家保存しておこうと思っている。
昨今の“政治の女性化・劣化”を見るに就けても、この『北方 水滸伝』で描かれている“(勇敢な)男性達が世直しをし、新しい国を作って行くこと”の面白さは、やはり棄て難い。

今、世界では、(男女同権旋風で)一時のして来た女性の首長/リーダーも、そろそろやっていけなくなっているように見える。
ドイツのメルケル氏は辛うじて首相の座を維持しているようだが、(移民・難民を気安く受け入れる政策で)、人気は落ちる一方らしい。
イギリスのメイ首相も、(生煮えの)“ブレグジット”の失敗で、幾許も余命は無かろう。
米国はと見れば、トランプ氏がクリントン女史を破って以来、随分、(男性的で)ダイナミックな政治を行って来ている。
多分、クリントン女史なら行わなかっただろう諸策を、一見強引とも見える手法で実行中だし、着々と成果を上げているように見える。

一方、日本国内を見ると、小池東京都知事は“築地移転問題”で、結局、初期の計画を壊し作業を延期しただけの成果しか出さなかったし、その後は何の新しい試みもせずに、居座っている。
国会の与党国会議員達も、“戦争”という言葉を吐いただけの丸山議員を、“糾弾決議案”を多勢で可決するなど“女々しさ満杯状態”だ。
その癖、日本国を侮辱し続けている韓国議員連中や議長、大統領などに対しては、“非難決議”の一つも出す男気/勇気すら無い。(アホか!)
(それが、男性議員達のやることかっ!と、小一時間、詰りたい!次の選挙では、役に立たない彼らを全員、落選させたい!)

まぁ、世の中が平和になり、ずっと安定した状態なら、女性の“優しさや安定性/現状維持性”は重要な要素になるだろうが、今はそうではない!
まだまだ、男性の先鋭性・攻撃性や決断力・瞬発力が不可欠な時代なのに!
...と、“不本意な現実”に歯軋りしながら、このシリーズを読んでいる。(苦笑)



『「都市の正義」が地方を壊す』   「六月二日」

『「都市の正義」が地方を壊す 山下 祐介著 PHP新書 2018年6月 1刷 ¥920+税』 (新刊購入 ¥992税込み)

これを読み始めて、何だか、“戦争はいけない!だから、憲法九条は良くない!ちゃんと、九条を守れ!”という論理に読めてしまって、先を読む気がしなくなった。
著者に、そんな意図は無いにせよ、現象面の是非だけを取り上げて、それを政治的・社会的に、個別に解決しようというのは、一種の社会主義(共産主義)国のやり方に似ている。
何故、人々が都市に集中するかを、人間の欲求の根源的な箇所から解明しない限り、適切な対策などは出せないだろうと思う。

恐らく、それは、「力」または「パワー」に関係している物事ではないか。
“都市=人間の集中場所”は、人間群が「力」を生み出し易く、また一方でそのオコボレを得易い場所でもある。
その「力」は、人間の生存と深く関わっていて、意識的、無意識的を問わず、人間が求め続けているもので、否定のしようがないものだろうと思う。
それの自然発生的な集中を、この本では(意識的な)「正義」と置き換えているようだが、そんなものではないだろう。
そうしたものを地方へ分散・活性することが果たして、適切なことなのかどうか?疑わしい。

確か、シナ/中国で、一時、無理に“下放政策(上山下郷運動(じょうさんかきょううんどう))”をやって、それがある(政治的な)意味では成功し、ある(社会的な)意味では人々を劣化させたという話があったはず。
また、“一人っ子政策”とかいうのも、無理矢理実施したが、結局は止めざるを得なかったと聞く。
無理な政治力で、一時的に捻じ曲げられたとしても、長続きはしないってことだ。

まぁ、「力」(「自活力」)がある人達は「地方」に住むことが出来るが、「力」の無い人達は「都会」に住まざるを得ないといえよう。
例えば、以前聞いた話だが、四国在住の(「生活力」の無い)被生活保護者らが、現地の役所から(豊かな?)大阪市への移住を勧められたという。

何故?そんなことをするのか?と問うよりも、そうした(無言の)「力」を、果たして(水の流れのように、下流から上流へと汲み上げて)上手く誘導することが出来るものなのかどうか?を、もう一度しっかり考え直すべきだろう。
しかし、その前に、私達日本人の「力」がどんどん弱くなって、もう後戻りが出来なくなってしまっている現実を、 厳しく見なければ、どんな対策も単なる“継ぎ当て”にしかならならない。


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