導育甘言集 2012.12 [我楽多苑 別亭 (真面目な愚痴)]へ [表紙頁]へ
松尾芭蕉 [1231]
『松尾芭蕉 嶋岡 晨著 成美堂出版 1990年10月 4刷 \1,000税込み』 (購入\105税込み)
(偶には、教養の幅を広げる努力をせねば!と?)こんな本を買ってみましたが、思わぬ拾い物でした♪
この本は、文章が簡潔で読み易く、一方情景も十分良く判るし、桃青という号以降の「松尾芭蕉」の人と成りが、少し分かったような気がしました。なかなか良い本です!
私も、五七五の語調は好きで、時々、これに合わせて文言を書きたくなることもあります。尤も、「俳句」の全てが好きだというわけではないのですが、抵抗感はまったく無い。
(あ、それから三三七拍子もいいですね!笑)
ところで、『不易流行』という言葉、昔学校で習ったまま、その意味や誰が言い出したのかは忘れてしまっていました。この本で改めて、これは芭蕉が言い出したことだと納得しました。
『物事の不動性と流動性の両方を、一つの句の中に織り込みたい』という意味だそうで、ちょっと考えると無茶苦茶のようですが、何と無く判るような気もします。
例えば、『古池や 蛙飛び込む 水の音』などは、それかな?
(林の中の古寺の、濁って静かな古池に、突然ポチャン!と音がして、小さな波紋が広がった。後にまた、静まり返る水面あり。・・・ 確かに、“静と動”ですね。そうした静かな風景は、今でも見たり感じたりすることが出来ます。それが嫌なら、逃げて行ける賑やかな都会もある。笑)
天才児を育てる [1228]
『天才児を育てる教材 吉木 稔朗著 コスモトゥーワン 平成19年5月 13刷 \1,300+税』 (購入\105税込み)
教材というのは何?と思ったのですが、ビッテ式「家庭保育園」のことでした。
この表題の“天才を・・・”という「刺激語」が気になっているのですが、この言葉はあるタイプの母親(達)には逆効果、つまり“うちの子は、天才なんかでなくて、普通で十分!”という母親(達)には通じない、あるいは毛嫌いされるのではないかと。
でも、『天才≒天から与えられる才能』って、子供達が持っている「潜在能力」のことですよね。
始めから顕在しているものではなくて、それを、周りが上手く引き出してやる必要があるモノのようです。。。で、引き出すのに失敗したら、子供は凡才のまま!ってわけ。
本来は、そうした“能力を引き出す努力”は、「親の義務」なのですが、それに気付く親達が意外に少ないようですね。(私自身も、幼孫が出来るまでは、殆ど意識していなかったから、あまり大口は叩けないけど)
多くの親達は、「子供達の天才を引き出すこと」は、自分(達)には関係の無いこと!自分(達)は忙しいから、そんなことには構っていられない!そんなのは保育園・幼稚園や小学校の責任だ!くらいにしか考えていないみたい。
だけど、実は、そうではない!...むしろ、親達がやらないで居ることは、逆に子供(達)を損なっているのだ!と、強く思いますね。
(しかし、それを親達に強く言うと、逆に被害者意識を持つようで...困ったものです)
今の私の願いは、『こうした子供の育て方』を、何とか“義務化”出来ないか?!ということ。
どんどん低能化して行く親達に代わって、将来の日本社会を支えて貰うためには、元気で賢い子供達をちゃんと育てねばならないと、つくづく思いますね。(日本経済の停滞だって、その遅れが原因なのに、誰も気付いていないのかなぁ?「維新の会」の橋下氏辺りがそれに気付いて下さるといいのですが)
介子推 [1225]
『介子推 宮城谷 昌光著 講談社 1995年6月 2刷 \1,800税込み』 (購入\105税込み)
先に「重耳」(上、中、下)を読んだのですが、もうひとつその人物の偉大さが良く分からず。
自分の国を追われて他国へ亡命した“晋の公子”で、あちこち逃げ回ってやっと国へ戻れたのは、60歳になってからだそうなので、それでは、自国での治世(善政?)もあまり長くは無かったのではないかと思ったり。
(私には、この人物よりも、“上巻”に出て来る祖父の「称」の方が、ずっと秀でた為政者のように思えましたが)
ま、それはおいといて、この「介子推」は、その「重耳」の陪臣(部下の部下)として、主君を強力な暗殺者達から守っていたそうですが、自分の実力を隠したままだったので、最後まで「重耳」からは認知して貰えなかったらしい。
(後の世では、人々の間で次第に評価されるようになったそうですが、)当人は不満を抱いたまま山中で憤死したらしいので、何だか勿体無い話ですね。
やはり、暗殺者撃退(の功績)はその都度事件として報告し、評価して貰えばいいのに!と思うのは、凡人の考えることなのでしょうか?
それとも、彼の出身部族の弱みか何かで、したくても表明など出来ない状況|環境だったのかな?
読んでいる方が欲求不満に陥りそうでしたが、この筆者の筆力なのでしょう、上手く昇華されて、そこまでには至りませんでしたが。
ヨコミネ式 [1222]
以前、『ヨコミネ式』を採用されている保育園、幼稚園は2箇所ほど見学させて貰ったことはありましたが、今回は、(日本で唯一の)その方式を正規学科の中に取り入れて保育士、幼稚園教諭を養成する「IPU・環太平洋大学短期大学部(愛媛・宇和島)」を見学させて頂きました。感謝!<(_"_)> (左写真)
『ヨコミネ式』を教職課程に織り込むことは、(あまり適切な喩えではないかもしれませんが、)今まで民間療法の一つだった“漢方”を、(西洋医学の)大手病院で採用し始めた、その一番最初の貴重な例のようにも思えます。
事務局長のお話では、創設の際、例によって文部科学省への提出書類は、山のようだったとのことで、今の“教育制度の頑迷さ加減”が良く分かります。(苦笑)(でも、増え過ぎは良くないとか云ってた田中文科相の認可時期でなくてよかった!彼女は、ホントに視野が狭いですからね!)
実は、孫娘の一人が進学に興味を持ってくれそうなので、一緒に連れて行ったのですが、それにしても宇和島は遠かった!(笑 車で片道約6時間)
余談ですが、宇和島の街(左/上写真<クリック>)を眺めながら、「地域活性化」の意味では、“遠方からの短期入学”はそんなに大きなメリットではないかもしれません...が、小さくても外部に意味あるモノが出せれば、それが活きて来ないかなぁ?とも思いました。
それと、はしゃぎ回っている幼児達や園児達を見ていると、小さな身体、小さな頭脳に、(整然と!)与えられるものを精一杯吸収したがっているように見えましたから、これを大人達が放っておくのは、ホントにケチで残酷だなぁ!と思いますね。
例えば、「おはよう!」って声を掛けながら、握手をしたり身体を触ってると、遊んでいた子供達の多くが、好奇心一杯で、吾も吾もと寄って来ますからね。それを「可愛いね」だけで済まさずに、もっと色々なモノ・コトが与えられるかもしれないと思うのは、単なる奢り?夢想なのかな? ・・・ ただ、与える教材造りの作業・準備は、大変かも。
幻の出雲王国は [1219]
『幻の出雲王国は始皇帝に滅ぼされた!! 幸 沙代子著 高橋 良典監修 飛鳥新社 平成8年4月 1版 \1,300税込み』 (購入\105税込み)
この本は、飛び飛びの点と線を結んで、大きな“アジア古代史の絵柄”を描こうとしているようだけど、ちょっと無理矢理の感も無きにしも非ずで、“際物”に近い内容。
ただ、日本の古代(神代)文字が、シナ「山東省碑文」のそれとよく似ていることや、出雲神話に出てくる「神々」の話が、戦国時代の「斉」の王族の系譜とよく似ていることなどから、恐らく“出雲≒斉”だろうとみたのは、“納得し易い仮説”です。
そして、やがて「斉」は、「秦」に滅ぼされてしまうのだから、表題のような結論になるのでしょうね。しかし、その後の“大和朝廷の成立”への経緯などを等閑にしているので、話半分。
それにしても、資料が少ない古代史を考察、再構築するのは、大変でしょう。
大半は想像力で補わねばならず、ややもすると「全くの作り話」になる可能性もある。
他方、書かれた資料類に関しては、何時の時代でも、始皇帝のやったような「焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)」のようなことは、当たり前だったらしいから、きちんと残されている(正統的な)資料類だけでは、十分に正しい歴史は描けないでしょうし、あるとしても油断は出来ないですね。
だからというわけでもないのですが、本書のような“亜流のもの”も、必ず一度は眼を通しておかねばいけないと思っています。
ちはやふる [1216]
『ちはやふる奥の細道 W・C・フラナガン著、小林 信彦訳 新潮社 昭和58年6月 1版 \980』 (購入\105税込み)
表題の“ちはやふる”を見て、『・・・ 神代もきかず 龍田川 からくれないに 水くくるとは』を思い出したのですが、『・・・ 奥の細道 ・・・』の方は、思い出せず。
この本の最後にあった、『ちはやふる おくのほそみち ふみゆけば むべやまかぜを あらしといふらむ』を見て、「ああ、そんなのもあったなぁ」と気が付いた。
この本、始めの辺りは、“おふざけ”が新鮮に感じたのですが、読み進める内に段々鬱陶しくなって来ました。
著者、訳者の教養は、深くて広そうなのですが、それに乗り過ぎて、パロディ化し過ぎた内容に、こちらが付いて行けなくなっちゃった!
こうした知的?遊びが過ぎる小説は、そんなのが好きな人にはいいのでしょうが、私のような盆栽、いや凡才には、あまり面白くないです。
結局、途中で放り出してしまったのですが、その“おふざけ”の一例。
Eating Oysters,
The bell sounds,
Of Horyuji Temple.
この句の話を何処ですればいいのか迷っちゃいます。日常では、殆ど使い物にならない!(苦笑)
知的ママは [1213]
『知的ママは育児が苦手 羽仁 説子著 青春出版社 昭和52年3月 1版 \830』 (購入\105税込み)
(私も、“知的ママ”は自分自身のことにかまけ過ぎる傾向があるので、多分育児は苦手なんだろうなという気がしているのですが、)この著者が、なぜそう思っているのかが知りたくて、読んでみました。 ・・・ でも、あまり納得出来ず。
むしろ、色々な“普通の母親たちの姿”とそれほど違っているようには思えないし、“知的”であるがゆえの「苦手」(意識?)とはどんなものなのかが、この本ではよく分からず。
それに、この著者の子供の育て方で、「情育」や「体育」については良さそうだけど、「知育」に関しては、古い迷信を根拠もなく信じていて、ちょっと鼻白む感じ。
「小さい段階からの知育」は害があるんだそうですが、でも、その理由を示してない。
また、母親の「添い寝」も“独立心”が損なわれるから良くないとか?
(それらは、最近の研究結果とは、正反対ですけどね)
この本は、全体的には正論も多いけど、くちゃくちゃくどいし、現代の母親用の参考書・教科書にするには、“不適”だと思いました。
考える技術 [1209]
『考える技術 大前 研一著 講談社 2004年11月 1版 \1,600+税』 (購入\105税込み)
この本にも、考えさせられたり、気が付いたテーマ、項目が一杯!
私は、小泉元首相の「郵政民営化」は良い成果だったと評価していたのですが、この著者のご意見だと、きちんと分析すると、国民とっては利益の少ない部分も多かったようですね。特に、郵便業務などは、民間業務には馴染まない?
そのひとつ、万国郵便条約で「ユニバーサル・サービス」が義務付けられているという話は知りませんでした。確かに、こんなのは民営化には向かないかも。
他の話題で、「経済」に関する経済学者や評論家の話は、まったく当てにならないそうで、皆事実を観ずに古い理論だけで、話を作り上げているそうです。(私も、そう思いますね)
例えば、“金利を上げると景気が悪くなる”とか“景気を良くするには、お金をジャブジャブ供給すれば良い”とか云った話は、実証性の無い空論|むしろ悪論だそうです。
私も、最近自民党の安倍氏が提案しているようなお札を刷りまくる(超金融緩和とかの)愚策は、インフレも呼び起こせず、結局は外国に掠め取られる(例えば、米国債の購入金に化ける)だけで、日本自体は大損をする!と思いますね。
この本のテーマ『考える技術』って、結局は、「好奇心の喚起」と「自分への質問」だそうです。
「技術」と言うと、直ぐに理屈っぽい理科系の話だと敬遠する人が多いのですが、それは違いますね。
例えば、『愛情』も、一種の「与える技術|受け取れる技術の成果」でしょうね。
未だに、『愛情』って、神秘的なものにしてしまってますが、それは大きな勘違いだと思います。放っておいて、自然に湧いて来るものではないし、自然に身に付くものではない。 ・・・ でも、なぜか「自然現象」だと思われ続けてますけどね。
診せてはいけない [1207]
『診せてはいけない 森 功著 幻冬舎 2001年10月 1版 \1,400+税』 (特価購入\53税込み)
医療の世界にも、この著者のように、真面目に医療とは何かを考えながら、必要な事を具体的に進められている方も居られる。
でも、他方で、著者が指摘されているように、技術的に劣悪でも、金儲けだけはちゃっかり出来る医者が多数存在する|出来るシステムになっているのも現実らしいですね。
(私達は、そうした質の良くない医者は、直ぐに見限るべきなのですが、でも、実際にはずるずると、なかなか思い切れないものです。因みに、私は選択が厳し過ぎて歯医者を10軒近く替えましたが。苦笑)
私は、医者側よりも、日本人(患者?)自身の病(気)に対する考え方を、変える努力をしないと駄目だろうと思います。
(逃げ回ってる振りはしてるけど、結局は自分から病気になりたがる性癖や医者・病院依存症は、変えていかなければ、ダメ!でしょうね。
例えば、「癌の早期発見」や「人間ドック」なんて、愚の骨頂では?
(発見しただけで、簡単に直せるわけじゃないし、自分で自分の身体を知るように努力すれば、何とかなりますよ。それが、出来なければ諦めればいい。・・・ ちょっと強弁かな?笑)
「患者側」が、考えも無しに“医者依存症”になっていると、医者の良し悪しさえ見分けられなくなりますね。
その点で、最近言われ出したセカンド・オピニオン方式は、大変いい方法だ。
それを積極的にやれば、質の悪い医者を排除することが出来るようになるのではないかと思います。
勿論、医師側の自覚や改善行動もやって頂かなくてはいけませんが、それよりも患者側の「賢明さ」の方が重要でしょうね。
でも、今更、賢くなれって言われても ・・・ ですよね!それなら、あれこれ工夫してみれば?
「癌」でも、“こなくそっ!”って、「病気に負けない気力」を奮い起こすと、何時の間にか直っているケースも多いそうですから、みんなそれを今から ・・・ なんて、自分では到底無理でしょうね。
ま、現状維持が精一杯|関の山でしょうから、しっかり反省して、子や孫達にはしっかりやらせましょうよ♪
子供達には、小さい頃から『訓練・練習』をさせれば良い!
出来れば「ヨコミネ式教育法」などで、小さい頃から元気で強い子に育てれば、大きくなってからも病気をしないのではないかな?
(でも、それでは困る連中から、“そんな育て方は、子供にとっては良くない事だ!害がある!必要無い!”とか何とか、陰に陽に圧力が掛かってくるかも。怒)
粗茶を一服 [1205]
『粗茶を一服 山本 一力著 文藝春秋 2008年10月 1版 \1,524+税』 (特価購入\53税込み)
これを読んで、“一服の茶”どころではなくて、「薄荷アメ」を一度に三つ四つ噛むか、「リステリン」で嗽(うがい)をした感じ♪...まことに、厳しい爽やかさでした。
帯の見出しに、『喜八郎−武士の心と商人の知恵を持つ男』とありますが、何時の時代でも、(そこら中に)居て欲しい人物ですね。
加えて、商売上では厳しい仕置きで商売仲間からは嫌われ、世間の評判もあまり良くないが、圧政にも耐え抜き、裏では良いものには惜しみなく金をばら撒き、蔭ではそっと人助けをする札差の伊勢屋四郎左衛門も、なかなか得難い人物です。
二人それぞれに付いている助っ人達も、選ばれた者達でしょうが、働き者揃い。
これらの人物像をみながら、昨今の日本の政治家や首相の人物を考えていました。
(如才は無いけど)何の哲学も無い人や、(一端の持論はあっても)実力が伴わない人、(毛は多くても)知識も能も無い人、(順繰りの)党内人事だけの人、などなど、日本の首相にはそんな人達が多い。(国民は、少しでも長続きさせたいと望むけれど、自滅する人が殆ど)
昔だったら、外国にも、党内にも、国民にもビシビシ厳しいことが言えて、どんどん実行して行ける人物の存在を、世間でも、許していたのに、今では多少『コンペイトウ的な人物』も、たちまち『チャイナ・マーブル的な人物』にされてしまうから、当人達もたまったものではないでしょうけど。
この裏の原因は、男性が自分の役割を忘れ、女性も自分の役割を見失っているからだと思えてなりません。(役割分担を知らず)
それぞれが、自分達の側の「優れた特性|良い持ち味」を活かすように教育されて来なかったからですが。(当然、未だに継続中)
早い話、今ではどんどん、男は女らしく、女は男らしく成りつつある。(男女共学の成果)
(オネエが幅を利かせ、乙女珍獣ハンタが易々とモンブラン登頂をこなす時代なんですからねぇ。おまけに、泥棒退治には女性レスラー、男性陣はお飾り。苦笑)
これは、“自然の摂理≒盛りを過ぎれば衰える”で、「必然の成り行き」かもしれないけれど、もう“絶滅危惧種の指定”が必要では?
闘え日本人 [1203]
『闘え日本人 日下 公人著 集英社インターナショナル 2005年10月 1版 \1,600+税』 (購入\105税込み)
この方の著者のご意見には、毎回眼を開かされます。(俗に、眼から鱗が落ちる!)
ナルホド!そんな観方、考え方があったのか!って。それに、無駄の無い分かり易い文章なので、すーっと理解出来ますから、なかなかの知的快感です。
例えば、これまでの、世界の(近代?)戦争の殆どが、若者の人口増が原因だそうです。今、世界中で起きている戦争や戦闘の殆どがそうらしい。『若者の増加が戦争を招く』
その説が今の日本で正しいなら、日本では出生率が下がっているから、戦争どころではないわけだし、世界にも胸を張ってその事実を自慢出来ますね!(真面目に!)
(他方、シナ|中国も、一人っ子政策のお蔭か、最近はかなりの少子高齢化らしいから、戦争を仕掛けてくる恐れは少ない?でも、習氏や軍部の跳ね上がりが強ければ、小競り合いは嫌でも避けられないでしょうね)
私は、日本の少子化の原因として、女性の社会進出が大きいだろうと思ってます。
そのために母親の“たっぷりした愛情”が受けられずに育つから、子供(達)にとっては、大変不幸だなぁ...と思っていたのですが、もうちょっと考え方を変えればいい!と思い始めました。
それは、“子供達への愛情供与”って、訓練すれば保育士でもやれる“特殊技術”だって事に気が付いたから。
愛情の多少は、保育士の能力や頭数にも拠って違うでしょうけど、通常の母親よりは、優れた保育が出来ると確信しています。
“親は無くとも、子は育つ”という諺や“三つ子の魂、百まで”とか、“親の背中を、見て育つ”や“負うた子に、教えられ”など、意味深長な格言は、皆実生活から来た「知恵」だから、それを参考にしない手は無い!
「新しい教育改革(≒胎児から13歳までの義務教育制度)」を世界に先駆けて(国家単位で)やって見せれば、その「技術」を世界に(有償・無償で)買って貰えるのでは?
(あ、技術やお金をバカにしてはいけないと思います。それが下手糞な国民ほど、他からバカにされたり毟むしられたりするのですから)
日本人への遺言(追) [1201]
『対談集 日本人への遺言 著者代表司馬 遼太郎 朝日新聞社 1997年4月 5版 \1,200+税』 (特価購入\53税込み)
最後の対談者は、米国の学者ロナルド・トビ氏。
氏は日本近代史、特に「江戸時代の外交」を研究されていたそうですが、以前日本人にそう説明したら笑われたそうです。理由は、鎖国していたから外交など無かったと・・・。
(恥ずかしながら、私もあまり詳しくは知らなかったけど、)江戸時代初期、“朝鮮通信使”の来日を期に、日朝間で正式な外交が始まっていたそうです。
ところが、その時代の“李氏朝鮮”は、シナ|「中華」の臣下として「小華」(つまり、子分!)を自任していたので、日本幕府(将軍)の“称号”の扱いに、(仲介役が)苦労していたとか。
(“中華皇帝”の臣下に見せ掛ける文書だと)「日本国王」では拙かったので、(仲介役の対馬藩が)“王”上に点を付けた「国主」にして出したり、逆に来た文書は「国主」から「国王」に直したりしていたらしい。(笑...当時は、冗談事ではなかったでしょうね)
また、“朝鮮”は、“明朝”を「中華」として、礼を尽くしていたのに、野蛮人の女真(満州族)が、シナ|中華の支配者“清朝”になってしまったので、甚だ面白くなかった。一応は、臣下の礼はとっていたけど、日本との外交文書には、“清朝”の年号を使わなかったとか。
(これも、笑い事ではなかった?!... ところで、今の韓国や北朝鮮が、今のシナにどう対応しているの知りませんが、先頃の日本の政治家は、自国のプライドを捨て、自分の肘の下に手を当てて握手するなど、シナの要人に対して“臣下の礼”をとっていたそうですが、恥ずかしいことです)
尚、この本の題目「・・・遺言」は、これが司馬氏の最晩年の対談だったからのようですね。
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