導育甘言集 2012.02    我楽多苑 別亭 (真面目な愚痴)]へ      表紙頁]へ

不食 [0229]
『不食 山田 鷹夫著 三五館 2004年11月2刷 \1,300+税』 (購入\105税込み)
自分でもやってみた事があり、大変興味のあるテーマだったので、買ってみましたが、かなり物足りない!
不食」ではなくて、この本の中身からすると、単なる「微食」ではないかと思いました。
つまり、人間の身体は“僅かな食べ物”で養えるらしいってことのようですが、それなら(変換効率の問題だろうから)ある程度分かります。
では、「無食」だったらどうなるか?それについては、あまり説明されていませんねぇ。
人間が動く時に必要なエネルギーは何処から?とか、幼児期から“不食”をやったらどうなるか?(あるいは、どう考えるか?)とかの分析や考察が無い。
もし「水」や「空気」とかから変換されるのだと云うのなら、(ウソではあっても)まだ論理的なのですが、残念ながらこの本では実践論、芸術論?ばかりで、因果関係の説明が殆ど無い。
多くの人に適用出来る普遍性が無くて、個人の実体験だけでは、“宝くじに当った人の話”で終ってしまいますねぇ。(まぁ、それは、宝くじを買いたい人の励(はげ)みにはなる?でしょうけど、誰でもが当るわけではないし)

気温の周期と人間の歴史(第一巻) [0227]
『気温の周期と人間の歴史(第一巻) 原田 常治著 同志社 昭和52年9月 \1,800』 (旧蔵書)
この著者は、すべて実証主義だそうで、ご自分で実地に調べて、説を立てて居られますが、前半では、世界の大きな事件やそれぞれの時代の有様(ありよう)は、殆どが「気温」に影響されている事について述べられています。
それは、気温の上昇は人口増加を促し“争い”も増える。また逆に、気温の低下する地域は、天候被害を受けて来たそうです。だから、大きな気温の動きを見ていれば、世の中の(大きな?)変化が分かるらしい。
...それはさておき、後半では、中共・毛沢東氏の配下の軍隊−八路軍は、実は日本軍が育てた満州国軍だったそうで、それがお金で取引され(蒋介石氏は断り、他方)林彪氏が買ったという話は、大変興味深かった!
それで、毛沢東氏(&林彪氏)は支那全土を制圧したんですからねぇ。反対に、蒋介石氏は台湾に押し込められてしまった。
また、林彪氏は、(濡れ衣で)毛沢東氏暗殺の謀反人に仕立て上げられたそうですが、そういえば私の若い頃、支那で、江青女史達の陰謀だったとかで、“追放?や死刑?の大騒ぎ”があったことをうっすらと記憶しています。
(先日、名古屋の河村市長が何か言ったとかで、支那で騒いでいるようですが、自分達・先人達がして来た事をもっとよく知れば、今更恥ずかしくて騒げはしないだろうに ・・・ 何でも日本人のせいにして、何かをせびろうとするのは悪い癖です)

快脳教育 [0224]
『快脳教育 心地よさが人の「やる気」を引き出す 山本 光明著 サンマーク出版 1996年11月4刷 \1,553+税』 (購入\105税込み)
「プロローグ」には、大変分かり易い、良い事が書いてありました。
  +やる気は、強要しても出ない
  +目的、夢、志を持たせる
  +過保護はやる気の敵
  +やる気と親子関係はミスマッチ?
  +とにかくほめること
  +やる気はうつる
そこまでは、良いのですが、さて具体的にどんな風に実践されているのか?と気になった。
ネスコム」ってどんな組織だろうと、ネットで検索してみました。
“学習塾”の宣伝記事は沢山出て来ますが、中にこんな記事があった!偏見・非難でもなくて、実態を書かれているように感じました。
もし「ネスコム」に宗教色があるなら、これは問題ですね。
私は、そうした“宗教的なやり方”は、効果的な面はあるかもしれないけれど、基本的には排除すべきものだと思っているからですが。
以前、オーム真理教の若い教徒/信徒達が、ヘッドギアを付けて“学習!?”しているのを見て、ぞっとした記憶があります。(あれは、一種の自発洗脳ですからねぇ)
大体、学習のために“心地良い状態”を前面に押し出すのは、間違った手法なのでは?
というのは、「学習、それ自身」は、脳細胞の活発な刺激活動であり、脳内の緊張状態のはずだから、「一心不乱」の状態ではあるかもしれないが、“心地良さを感じる”はずが無い!
多分、α波が出る状態だと他の色々な刺激を排除し易い状態だから、“学習が始め易い”だけだろうと思います。
また、それらの緊張が解けた時の開放感も、“心地良い”ものでしょうね。だからといって、(身体の方ではなくて)“脳が心地良い状態”の中で学習する事が、果たして良いのかどうかは、甚だ疑問ですね!
まぁ、この本に書かれている『やる気を引き出して、自発的に学習させること』については、異論は無いし、その他の箇所も頷(うなづ)ける内容が多いので、「ネスコムの活動」とは切り離して、良質の“ハウツー/How to learning もの”として、読むべきなのかもしれません。
(私も、まだまだ「脳の学習機能」については、知識不足や経験不足があるので、もっと幅広く知りたいとは思っています)

蝦夷地別件 [0220]
『蝦夷地別件[上、下] 舟戸 与一著 新潮社 1995年5月 各冊\2,200税込み』 (購入\210税込み)
先日見た映画「Avatar(アバター)」は、あっさり?現地住人達のハッピーエンドで終ってましたが、この本の話−アイヌ族が和人に搾取され、やがて仲間争いや和人との争いにまで縺(もつ)れ込む、その始まり−は、読んでいて気が重く、辛いものがありました。
その中で、数人の和人達が、アイヌ達と絡み、彼等に尽くそうとしたり、煽ったりする有様は、僅かな“救い”に感じましたが、それが左程大きな力にはなり得なかったのは、やはり“映画”などではなくて、実“現実”だったからでしょう。
結局、“無知”や“人が好い”ことは、種族として生き延びるのには、決して得な事ではない!って痛感させられました。つまり、それらは“哀れな正義”のように見えます。
皆殺しに遭ったり、奴隷的境遇に落とされたり植民地化されてしまったら、元も子も無い!
明治維新で、日本が急いで列強に対抗出来るよう“富国強兵”をした事は、日本民族が自主的に生き伸びる上で、大変重要な意味があったのだと、こんな処で納得したり。

SFはどこまで [0218]
『SFはどこまで実現するか ロバート L.フォワード著、久志本 克己訳 講談社 1991年10月5刷 \780税込み』 (購入\105税込み)
この著者の名は、大変面白い/興味深いSF小説を書かれることで知っていたのですが、実は本職は(著名な)科学者&技術者だそうですね。
この本では、SFで予言している未来的(魔法風の?)なアイデアが、どのように実現出来るかについて考察されています。
残念ながら、この本で挙げられている項目は、まだまだ実現の見込みが立っていないものばかりですが、夢はでっかい!例えば、
 +重力波通信、ニュートリノ通信、タキオン通信など
 +鏡像物質エネルギー
 +スカイ・フック、スペース・ファウンテン、軌道リングなど
 +特殊相対論的タイム・マシン、重力タイム・マシンなど
実は、この本の表題を見て、ヒントでも無いかと探したのは、今課題になっている「原子力エネルギー」の“小型で簡便な制御方法”や、「不要放射線」の“簡便な消去/抹殺方法”といったことなんですが、やはり無いですねぇ。(SFでは、“携帯型マイクロ原子力電池”など、しょっちゅう出て来る話なんですがねぇ...)
というのは、福島原発に限らず、核燃料廃棄物などの後始末/後処理で、安全で且つローコストな方法が、未だに見付けられていないという現実、そして、世界各国が困った状態のまま来ているのに、科学者達や技術者達は、依然何の解決策も夢の提案もしていないからですが。
聴こえるのは、市民の“原発反対!”の声ばかり。
科学者達や技術者達は、“先行・将来技術”もいいけど、“後始末技術”もちゃんと開発しないと!その責任は重いですよ!

横書き [0216]
(当サイト「我楽多苑」も“横書き”なのに!)先日読んだ『狂牛病』での文章の「横書き」に、何故か大変違和感を覚えました。
これは多分、これまで読んで来た本の殆どが日本語文の「縦書き」だったからでしょう。
元々、“日本語は縦書き”として習って来たのですが、文明の利器(ワープロ)の利用や欧文の混載などのため、止むを得ず“横書き”を使うようになって来ています。
ちょっと考えると、人間の眼は左右に切れているから、上下よりも左右の視野が広くて見廻し易いはずだし、若さもあって?あまり抵抗も感じずに受け入れたような気がします。
でも、“視線を上から下へ動かす”のは人間の本能的な仕種のようにも思うが、あるいは、東洋人、いや(雨を気にする農耕民族である)日本人固有の特性なのかもしれませんね。
“視線”が“重さ”に負ける?それとも、リズミカルに上下動する?...それは、突っ張ったまま横にズィーっと動かすよりも、ずっと趣があるし、疲れも少ないのではないかな?
だから、日本語文の「縦書き」はそれなりに大事にしたい!しかし、縦書きの英文は“見られたものではない”から、やはり「横書き」も捨てられないですね!どちらも、使い分けて活用せざるを得ないだろうなと思いました。(農耕民と狩猟民の融和化?笑)

狂牛病 [0214]
『狂牛病 〜プリオン病因説は間違っている!〜 論文集(佐藤 雅彦、他著) 工学社 平成13年12月 \1,600+税』 (購入\105税込み)
狂牛病/BSEなどは、“(未だに発見出来ないウィルスによる)伝染病”だと思っていたのですが、どうやら違うらしい!マンガン・イオン/Mn++過剰摂取と、その悪影響を抑制出来る銅/Cu、鉄/Feイオンの不足と(の組み合わせ)が主因のようです。
日本の阿賀野川流域での「水銀/Hgによる水俣病」や神通川流域での「カドミュウム/Cdによるイタイイタイ病」と同じタイプ≒金属、金属イオンの体内蓄積による“不治の病”(?)だと理解・納得しました。
(それらも、公に認知されるまでには、随分年月が掛かったようですが)
結局、牛のBSEも、未だに伝染病扱い(ウィキペディア)にしているらしいが、無知か情報不足による誤認なのでしょうね。私も無知でしたが、マスコミ/マスメディア連中、それに国内の研究者達も怠慢か?
これは、(有害物質の埋蔵量の多い)地域特有の風土病 の場合もあるし、不作為的な薬害 による場合もあるそうで、単なる屠殺処理隔離処理だけでは解決し得ない病気(?)ですね。
“伝染性”は無いから触ってもいいけど、“有害物質の取り込み”になる「飲み食い」はいけない!ってこと。
今、問題になっている輸入牛の“年齢制限の緩和”は、『より沢山の有害物質を蓄積した牛』を輸入して食べるってことだから、我々の側で更に沢山の有害物質を受け取って溜め込むことになるので、良いわきゃ無い!
「河豚の毒」みたいに、肝臓か卵巣だけでしか生成しないことが分かっている場合はその部位だけを除けばいいが、外から入って「体中に蓄積」して行く途中で特定部位で発症するのだとしたら、そこを除いたからって、あまり意味は無いわけです!
...結局、海綿状脳症/痴呆症(認知症?)になる確率は、ずっと高くなる?年寄りは構わないでしょうが、若者達が可哀想だ!(苦笑)
...ふむ、これは(子供達には絶対避けたい)放射能汚染・体内蓄積と、同じ話ですからねぇ。
(でも、こんなことを大っぴらに言うと、原因不明の事故などで抹殺されてしまうという話もあるらしいので、少しずつ静かに拡散・定着させなきゃぁならんのでしょうか)

へいしゅうせんせえ [0212]
細井平州 へいしゅう せんせえ  童門 冬ニ著 潮出版社 2009年12月1刷 \1,700+税』 (購入\105税込み)
読んで行くと、この“せんせえ”は上杉鷹山(うえすぎ ようざん)公の師だったという事を思い出しました。(先月読んだ本
読み終わって思ったのは、この“せんせえ”も、廃藩寸前の米沢藩の建て直しに、蔭から加わった優れた人物の一人だったようですが、見えて来たのは、この師だけではなかった。
その直丸鷹山公の若年名)を養子として迎える事を勧めた藁科松柏(わらしな しょうはく)達やそれを受け入れた養父の上杉重定(うえすぎ しげさだ)も、(ある意味で)良い支援者だったと思いますね。(ただし、重定公の普段の生活態度は、あまり評判が良くなかったらしいが、重要な処ではちゃんと役割を果たされたそうな)
また、直丸(旧名:秋月松三郎は、“名君”であった実家の兄 秋月種茂公から、色々学問的・実践的な知識・智恵を授かっていたそうだし、それを補強・支援してくれたのが、この細井平州師だったのも、鷹山公の気力を奮い立たせるのに大きな効果があったのでしょう。
そして、実際の改革推進に携わったのは、竹俣当綱(たけのまた まさつな)莅戸善政(のぞき よしまさ)佐藤文四郎(さとう ぶんしろう)達で、彼らの(改革への)献身的な努力が無ければ、藩の立ち直りも無かっただろうと思います。
これらを考えると、大きな改革を進めるには、やはり優れた人材を周りに集めないと、実らないだろうなと思ったり。
今、橋下市長がやろうとしている大改革にも、各階層毎それぞれに、優れた人材が集まって来て欲しいものです。
(今の日本は、丁度この米沢藩と同じ状態ですが、どじょう氏からして、ほんとのオソマツ君みたいですから)

日本史七つの謎 天皇 [0210]
『日本史七つの謎』 (承前↓)
これまで、日本の古代史を読んで来て、今回中世を読みましたが、大王−天皇(家)は、やはり“奉(たてまつ)る存在”ではあっても、権力や政(まつりごと)については、実際に担われる事は少なかったようですね。
そして、実際の権力者達は、古代では蘇我氏や藤原氏、中世では武家諸氏だったようだし、明治維新では、時の志士達もちゃっかり利用させて頂いた?!
こうした事を考えると、今までの権力者達が、天皇(家)を立てて来た理由は、どうも日本人特有(?)の一種の“責任逃れ志向のため”ではないかという気がして来ました。
天変地異などは“自然のせい”にして責任逃れが出来るけれど、人災はちっと厄介だ!...だから、“自分(達)のせい”にはしないで、無言の“畏れ多い存在”に転嫁するわけかな?
でも、それは“不可侵の存在”なので、責任を問う事は出来ない。
というわけで、実務者が「申し分かりません」って、誰かに頭を下げれば、それ以上の責任は、誰かが“よし!よし!”と仰ったことにして、常に“実質責任”から、誰もが巧く逃げられるようになっているってわけ。
(このシステム、時には良かったり、時には悪かったりのようですが、今はどうなのでしょう?)

日本史七つの謎 [0208]
『日本史七つの謎  松本 清張、他著 講談社 1992年11月1刷 \1,500税込み』 (購入\105税込み)
対談形式の本は、余り好きではないのですが、偶には目を通さないといけないと思って、買ってみました。
一人の著者の本だと、ちゃんと筋が通るように書かれているので、読んでも分かり易いのですが、反面その著者の説を信じ込むと、他の説は(不快な?)異説に見えるし、更に頭の中がごちゃごちゃになりそうな気がするから。
今までの私は、それでも良いと思っていたのですが、どうもそれは“手抜き”や“怠慢”の類ではないかと思い始めたわけ。
知力・智力ってのは、そうした“ごちゃごちゃ”を自分なりに考え易く整理して、自身の行動指針にする能力でしょうから、 それに手を抜いては、親や先生方に申し訳が立たない。(苦笑)
それはそうとして、内容は左上写真<クリック>の如くで、“たった、この七つだけ?”と言いたくなりましたが、それぞれの裏に詰まっている史実は膨大だし、調査検証も大変な様ですから、読み始めると“たったこれだけ?”なんて言ってられない。
論者達が、書中の討論の中で、お互い相容れない説を、“なぁなぁ♪”で纏めてしまわずに、厳しく対立点と残しながらも、和やかに対談されているのはいいですね。(尤も、読む側は、どちらの説に加担しようかな?と迷いますが)
そうした(異説に対しても)各人や読む側が“気分的な余裕”を持てるのは、大切なことではないか、と思いました。

新」歴史の真実 [0206]
祖国ニッポンに、誇りと愛情を 新」歴史の真実  前野 徹著 経済界 2003年6月5刷 \1,600+税』 (購入\105税込み)
この本は、戦前戦後の日本の置かれていた状況と、それに先人の日本人達がどう対処して来たかを丁寧に検証、解説されています。
これを拝見しながら、もし自分が、知識欲が無く、そんな歴史にも無関心な人間だったら、この「著者の気持ち」や「正しい史実」が理解出来るかな?と考えてみました。(勿論、私自身は、今ではその心情や史実がよく理解出来ますが)
恐らく、口を酸っぱくして説明しても、煩わしがられるだけで、一向に通じないのが現実でしょう。特に、大人に対しては、(自らが学ぼうとしていない限り、)もう絶望的!
そうした現状を打破するには、私はやはり、子供達へ“上手に伝達すること”ではないかと思っています。(さて、どうやって?)
出来るのは、自分の身に周りから少しずつ?!それも覚束ないですが ...まぁ、焦らず、動かせる所から、やるより仕方が無いですね。

地アタマのすすめ [0204]
かしこい子どもを育てる 地(ジ)アタマのすすめ  守屋 義彦著 旺文社 2004年6月1刷 \1,600+税』 (購入\105税込み)
この著者も、“子供の教育”は、実は“子供達”ではなく、“親”の方の学習が大事なのだと、それとなくはっきりと書かれていますね。
この方が実地で教えて居られるのは「算数」ですが、親達にやってほしい事は、問題の“答え”ではなくて、その“解き方”を自分で見付ける努力をさせろ!ってことのようです。
算数問題の殆どは、既に「答え」が有るように作ってあるのだから、それを「どんな風」に解くか!を、あれこれ考えさせないとダメらしい。
(例えば、台形の面積を出すには、公式の適用の前に、幾何学的にあれこれ工夫してみることが出来ますね)
基本的な公式などは、予め覚えておくに越した事はないでしょうが、その次に必要なのは、ある問題に対して解き方は色々あるはずだ!それを考えてみよう!という挑戦姿勢ですね。
因みに、先日知ったのですが、北海道には「セイコーマート」が無い町は無いらしい。
都会型コンビニだと採算性が悪くて出店出来ないという(老人の多い)過疎地でも、「セイコーマート」なら営業出来る所も多いそうですが、きっと、それは赤尾会長の“(従来通りではない)考え方”と“努力”と“柔軟性”の賜物だろうと思います。(生産・流通・販売を一体化した変種企業)
考えると、過疎地のコンビニってのは一種の“地域の老人福祉”と言えそうですね。
親達や官僚達や政治家達が思い込んでいる“老人福祉を増税で!”という“もうダメな解き方”でなくて、こうした民間企業人の“智恵のある解き方”を参考にすべきだろうと思いますねぇ。(皮肉)
只、残念なのは、私自身は、こんな案を考え出し実行も出来ないという弱みがあるので、せめて子供達には伝えてやりたいもの。

逆・日本史[2] [0202]
『逆・日本史[2] 武士の時代 江戸→戦国→鎌倉  樋口 清之著 祥伝社 昭和62年2月1刷 \980』 (購入\105税込み)
この本にも、興味深い指摘が幾つもありました。その中のひとつに、
『農耕民族であった/あるがゆえに、キラキラした才能を疎(うと)んじる風習が強いし、能力による格差を極端に嫌うメンタリティ、つまり、嫉妬心がきわめて強いことがある』と。
これは、今の社会情勢で見ると、大阪市の橋下市長や「大阪維新の会」の改革活動を、“目障りだ!独善的だ!独裁者だ!”と非難する声にも、それを見ることが出来ますね。
また、別の指摘で、
織田信長比叡山を焼き討ちにした事は、悪業の一つに挙げられているけれども、実は、『焼き討ちで殺された僧侶の死体にまじって、女の死体がかなりあった。これによって、(当時の)延暦寺は聖地でもなんでもないことが証明された』と。
つまり、当時の宗教的権威を“力”で突き崩したから、信長は“暴君”呼ばわりをされたのですが、“あの時代の比叡山”ってウソの皮を被っていて威を張っていただけなので、当然潰れるべきだったわけですが、何だか“今の大阪府教育委員会”に似ているような気がしないでもない。

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